佐藤航陽のブログ

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持続的に発展する経済システムの作り方を考えてみる


昨年から経済やお金に関するデータをいろいろと分析していて、うまく回る経済システムに必要な要素が抽出できてきたので、整理しておくことに。前回は外から観察した場合の考察ですが、今回は自分で作ることを想定したまとめです。

経済とは「物事をうまく回す仕組み」

「経済」と聞くと金融を思いうかべてしまいがちですが、経済の定義はかなり広いです。

  • 人間の生活に必要な物を生産・分配・消費する行為についての、一切の社会的関係
  • 社会が生産活動を調整するシステム

わかりやすくいえば、経済とは「人間が関わる活動をうまく回すための仕組み」とも言えます。その中の一つの形態として、現代の私たちが生活している貨幣経済や自由市場経済が存在しています。

また、経済と聞くと、政治家や学者だけが財政政策を考える時に議論するようなテーマと捉えがちですが、人が3人以上存在していて生きるための活動を行っていればそこには必ず経済の要素が入ってきます。

例えば、生産活動をするために大勢の人が集まっている「企業」も経済システムと言えますし、エンジニアが作る「WEBサービス」、地域の人たちが集まって盛り上げる「商店街」、大学生が運営する「サークル」に至るまで、名前が違うだけそれぞれが1つの小さな経済システムと考えることもできます。

そして、手軽にネットでサービスを作って世界中の人に使ってもらえるような時代になった今、経済は「読み解く対象」から「創り上げていく対象」に変化しつつあると感じています。

世の中の悲劇や不幸の多くは、悪人によって起こされるよりも、実際は誤った仕組みが大規模に社会に適用されることによって起きていることのほうが多数です。

社会における多くの非効率や不幸を最小にするためには、物事をうまく回すための普遍的なメカニズムを理解し、何かを新しく創る人たちがそれを使いこなせるようになることが近道です。

そのために、生のデータに触れて、実生活で使える「活きたノウハウ」にまで落とし込む必要があります。これまで事業を通して触れてきた株式・為替・不動産・民泊・仮想通貨・ウェブサービス・アプリ・消費行動・SNSなどのデータを色々な角度から分析して、うまく回る経済システムの特徴をいくつかまとめてみました。

ここからの話は、社長やリーダーであれば組織をうまく運営する方法、プロデューサーであれば良いサービスを作る方法であり、事業開発や経営企画の人であればプラットフォーム戦略のノウハウと置き換えられるかもしれません。自分が関わっている生産活動に当てはめてみると面白いと思います。

経済システムに必要な5つの要素

とりあえず「生産活動をうまく回す仕組み」を「経済システム」とここでは呼ぶことにして、大前提として自己発展的に拡大していくような仕組みである必要があります。誰か特定の人が必死に動き回っていないと崩壊するような仕組みは長くは続きません。

良くできた企業やサービスは個人に依存していません、仕組みで動きます。facebookもザッカーバーグが超頑張って人を呼び続けているからではなく「人が人を呼ぶ仕組み」をうまく作れているからに尽きます。

この持続的かつ自動的に発展していくような経済システムはどんな要素があるかを調べていくと、5つほど共通点があると考えています。①インセンティブ、②リアルタイム、③不確実性、④ヒエラルキー、⑤コミュニケーションの5つです。

①インセンティブ(報酬が明確である)

経済活動なんでもちろんですが、参加する人に何かしらのインセンティブ(報酬)、明確なメリットがない場合は始まりません。当たり前のように感じますが、この要素が抜けていて失敗することが実は最も多いです。「素晴らしいと思うけど積極的に参加する気にはなれない」という組織やサービスをもし見つけたらこのインセンティブの設計が欠けています。

インセンティブにも、人間の生物な欲望(衣食住や子孫を残すことへの欲求)や社会的な欲望(金銭欲・承認欲・競争欲)を満たすものがあり、複数の欲望が混ざっている場合もあります。現代は生物的な欲求よりも社会的な欲求が目立ってきていて、中でも頭文字をとって3M(儲けたい・モテたい・認められたい)の三つが欲望としては特に強く、これらを満たすようなシステムは急速に発展しやすいです。

②リアルタイム(時間によって変化する)

次に、時間によって状況が常に変化するという特徴も必要です。かならずしも本当にリアルタイムである必要はありませんが、常に状況が変化するということを参加者が知っていることが重要です。

人間(生物)は変化が激しい環境では緊張感を保ちながら熱量を高く活動することができます。反対に、明日も明後日も来年も変化が全くない環境で生活すると緊張も努力もする必要がありませんから、全体の活力は次第に失われていきます。

③不確実性(運と実力のバランス)

さらに、不確実な要素があったほうが経済システムとしては活気が出ます。例えば、誰もが未来を正確に予測できて生まれた瞬間から死ぬまでの結果がわかってしまうような世界があったら、必死に生きたいと思うでしょうか。映画も最初から結末がわかっていると興ざめしてしまいます。

人間は生存確率を高めるために不確実性を極限までなくしたいと努力しますが、一方で不確実性が全く無い世界では想像力を働かせて積極的に何かに取り組む意欲が失われてしまいます。自らの思考と努力でコントロールできる「実力」の要素と、全くコントロールできない「運」の要素がうまいバランスで混ざっている環境のほうが持続的な発展が望めます。

④ヒエラルキー(秩序の可視化)

ヒエラルキーというとネガティブな印象が多い言葉ですが、持続的に発展するシステムを作る場合には、秩序が可視化されている必要があります。実際に社会で広く普及した経済システムはほぼ例外なくヒエラルキーが可視化されていて、明確な指標の役割を担います。

偏差値、年収、売上、価格、順位のような数字として把握できるものから、身分や肩書きのような分類に至るまで、階層や序列に溢れています。

「経済」は実物のない参加者の想像の中だけにある「概念」に過ぎないので、指標がないと参加者は自分の立ち位置がわからなくなってしまいます。また、指標が存在することで、自分と他人の距離感や関係性を掴みやすくなるメリットがあります。

一方でこのヒエラルキーも、それが固定化されると、②時間による変動制と、③不確実性が失われ、全体の活気を失わせてしまう原因にもなる諸刃の剣です。当然、優位なポジションを手に入れた者はその地位を守ろうとするので新陳代謝を強制的に促す仕組みを組み込んでおく必要があります。

⑤コミュニケーション(参加者が交流する場がある)

最後に重要なのが、経済システムそのものに参加者同士のコミュニケーションの機会が存在していることです。人間は社会的な生き物ですから、他人との関係性で自己の存在を定義します。参加者同士が交流しながら互いに助けあったり議論したりする場が存在することで、全体が一つの共同体であることを認識できるようになります。

そのコミュケーションの場を通して、問題があったらアイディアを出し合って解決したり、1人ではできないことを共同で実現したりできるようになります。この要素が、システム全体がまとまる接着剤としての機能を発揮します。

例えば、古代ローマのフォルムや古代ギリシアのアゴラなど都市の公共広場は政治や宗教的にも非常に重要な役割を担っていたことは有名ですし、WEBサービスやアプリなどを作る上でもユーザ同士が交流できる仕組みは既にお馴染みの機能になりました。会社運営や学校教育においても、参加者がコミュニケーションを絶やさないように交流会や行事が運営に組み込まれていることが多いです。

経済システムの寿命を考慮しておく

この5つの要素に加えて、安定性と持続性を考えるとさらに2つの要素を取り入れる必要があります。まず1つ目は「寿命」です。

不思議に聞こえるかもしれませんが、より長続きさせたい場合は経済システム自体の寿命を予め考慮に入れておくことが重要です。私たちの身体や車やパソコンと同様に、永遠に機能する完璧な経済システムというものは存在しえない、というのが今のところの持論です。

なぜなら、経済システムは何十年・何百年と運営されることで階層の固定化といった「淀み」の発生を避けられないからです。経済は人気投票を何百万回と繰り返すようなものなので、時間が立つほど特定の人に利益が集中してしまうのは避けられません(フィードバックループの結果)。この作用が格差を生み出します。

長く運営されることで徐々に特定の層に利益が滞留し始めると、当然それ以外の人は新しいシステムの誕生を望む声が高まっていきます。また人間には「飽き」があるので、長く同じ環境にいると不満がなかったとしても新しい環境を望んでしまう傾向があります。

結果的に、最初から完璧なシステムを作ろうとせず寿命が存在することを前提に考えておき、寿命がきたら別のシステムに参加者が移っていけるような選択肢を複数用意しておくことで、新陳代謝を促しかえって安定的な経済システムを作ることができるようになります。

例えば、ビジネスではプラットフォーム戦略を考える時にはこの寿命の概念はよく出てきます。

facebookは若者のユーザ離れも想定してWhatsAppやInstagramも買収しておき飽きられても他のサービスによってユーザを逃がさないようにしています。ヤフーや楽天のような大手IT企業も特定のサービスに飽きたら他のサービスに回遊させるような設計がなされています。外食チェーンでもファミレスから中華料理まで店舗のレパートリーを用意して、お客さんの飽きを想定しながら展開しています。

共同幻想が寿命が長くする

2つ目が「共同幻想」です。

永遠に続く完璧な経済システムを作ることはできなくても出来るだけ長持ちさせることはできます。その時に重要になるのが、参加者全員が同じ思想や価値観を共有している場合、少しキツイいい方をすれば「共同の幻想を抱いている場合」はシステムの寿命は飛躍的に伸びます。国家であれば倫理や宗教、組織やサービスであれば理念や美学みたいなものが該当するでしょう。

経済は参加者全員が利害を重ねる共同体でありながらも、個々は競争をしあうライバルの関係でもあります。当然なかにはズルをする人もいますし、自分勝手な人もいますから、放置しておくと「やったもん勝ち」になって秩序は失われていきます。

そのうち不満を抱いている参加者が離脱していき、徐々に離反者が増えていき崩壊に至ります。ただ、この利害が激しくぶつかり会う場合でも、参加者が同じ思想や価値観を共有している場合には、互い譲歩できる着地点を見つけられる可能性が高くなります。

かつてアップルが倒産の危機に陥った時に戻ってきたジョブズはアップルの「ブランド」に再び焦点を当てました。当時アップル製品は不具合が多いことで有名でしたが、アップルの思想や美意識に共感した熱烈なファンはそうした欠点があっても使い続けてくれていました。

通常の安売りメーカーであれば不具合があれば二度とリピートしてくれませんが、価値観に共感している場合は多少の失敗を許容できます。これによってアップルは倒産を免れました。このように価値観を共有している場合は多少の軋轢があってもお互いに譲歩しあえるので、結果的に利害のみでつながったシステムよりはるかに長続きします。

ここで、あえて「幻想」と表現したのは、絶対的な正しい価値観というものは存在せず、時代によって変化する流動的なものだからです。全員が同じものに価値を感じれば実際に価値が発生してしまうように、共同幻想はシステムに対して自己強化をかけます。

コミュニケーションが弾力性のある接着剤だとすれば、世代を超えて引き継がれる可能性のある共同幻想は瞬間凍結させる液体窒素のようなものです。

そして、「世界を変える」とは前時代に塗り固められた社会の共同幻想を壊して、そこに新しい幻想を上書きする行為に他なりません。国家、通貨、宗教、偏差値、学歴、経歴、年収、資産、倫理、権利など、私たちの精神や行動を縛る概念のほぼ全てが人工的に作られた幻想ですが、これらの効力が薄れても、その時にはまた別の幻想が誕生し人々の価値判断の基準になっていきます。

ビットコインに感じた秀逸さ

最近ですと上記の要素をうまく取り入れている典型的な例にビットコインがあります。ビットコインはそのリバタリアン的な思想や、そこで使われているブロックチェーンなどの技術面に注目されがちですが、私はビットコインのインセンティブ設計の秀逸さに驚きました。ハイエクやゲゼルなど同様の思想の連中は昔から存在していましたし、分野は違えどP2Pや暗号技術もそれぞれは新しいものではありません。

ビットコインが他の学術的な思想ともただの新技術とも違ったのは、この経済システムへ参加する人々が何をすればどういった利益が得られるかというインセンティブが明確に設計されている点です。マイナーや投資家(投機家)などを利益によって呼び込み、ブロックチェーンなどのテクノロジーで技術者の興味を引き、そのリバタリアン的な思想によって社会を巻き込んでシステム全体を強固なものにしています。

通常は、インセンティブを強調しすぎて崩壊していく金融市場や、誰得なのかが不明なままの新技術や、理論的な美しさを重視して最初から実現する気のない思想論文。こういったものは世の中に出ては消えていく時代の消耗品ですが、ビットコインは経済・テクノロジー・思想とそれぞれの役割を理解した上でうまく結びつけています。

さらにオープンソースにすることで、もしビットコインがダメになってもアルトコインやらの別の選択肢へ参加者が移動しやすくすることで、参加ハードルを下げてリスクを分散して結果的に仮想通貨全体で安定的な市場を形成しつつあります。

そして、これを見たときに、ビットコインの起案者は「理想主義者」ではなく、あくまで動くものを作りたい「現実主義者」だとも感じました。技術やら思想やら報酬設計やらはあくまで普及させるための手段で、自分の手で新たなシステムを作って広めることのほうを重視していると(まるでプロダクトを作るエンジニアのように)。

小綺麗な思想論文にはない現実主義者の「強かさ」のようなものを感じて、あまりによく出来ていたので私は思わず嫉妬してしまいました。

誰もが簡単に経済を作り出せる未来

かつて経済をどう設計するかは国家の専売特許でしたが、上記のように個人のアイディア次第で数年で何兆円っていう規模の独自の経済システムを作り上げることができてしまう時代に私たちは生きています。莫大な資本も何千人というスタッフも不要で、必要なのは経済のメカニズムへの理解と自由な想像力だけです。

ついこの前、沖縄が琉球コインを発行して地域経済を盛り上げていくというニュースが出ていました。こういった流れは地方公共団体に止まらず、銀行・民間企業・非営利組織・商店街・学校・ファンクラブ・個人に至るまで、簡単なプログラムさえ作れれば誰でも容易に通貨を発行して独自の経済システムを作っていけるようになるでしょう。

そこでは既存の国家では試せなかった色々な新しい経済のあり方が実験されていき、複数の経済圏が競争しながらより良いものが生き残っていくという競争と淘汰の原理が経済システム自体にも働いていくことが予想できます。

反対に、参加者にとっては自分にとって一番良い経済を選んで生きていけるようになっていきます。

私は昔から「今よりもっと良い経済システムは作れるのでは?」とよく考えることがありました。格差の問題は経済が一つしかない場合は致命的になりますが、複数存在していて自由に選べるようになれば今よりは和らげられるかもしれませんし、複数の経済同士が競争をしている場合は互いに抑制と均衡が働くので暴走しにくくなるというメリットもあります。

シェアリングエコノミーやブロックチェーンのように分散を促す技術によってサービスは分散していきますが、一方で経済システム自体も多様性が出て分散していくという二重の分散が進んでいくと思います。

変わらないものは変わり続けることだけ

これまで書いて経済システムの要素の話は、現段階では有効であるとは思いますが、これからもずっと使える普遍的かつ不変的な法則性かといえば、全くそんなことは無いと思っています(長々と書いておいてすいません…)。

重力みたいな物理法則とは異なり、人間の作り出す社会の法則性は大半が脳内の想像の産物に過ぎず、かつその時代の人間の能力や技術に制約を受けているからです。

もし、これから全く新しいテクノロジーの誕生によって人間の能力が大きく拡張されれば、新しい欲望や社会的な概念が誕生し、今まで説明した内容を全てひっくり返してしまうでしょう。

例えば、人間が言語を持たなかった時代には今のような複雑な思考をしたり曖昧な概念を共有したりすることはできませんでしたし、数学や科学が発明される前は世界はもっともランダムで神の気まぐれで変わるものだと考えられていました。今では疑う人すらいなくなった貨幣、時間、人権、平等、宗教、国家のような概念はこれからも無限に誕生してくるでしょう。

仮に、新たなテクノロジーと融合することによって人間が現在の100倍の思考能力と計算能力を獲得できるようになったとしたら現在の社会の前提が狂ってしまうはずです。人間の寿命が伸びて200年以上生きられるようになったり、テレパシー的な技術で他人と自分の境界線が今以上に薄れていったとしたら、全く異なる種類の欲望が人の中に生まれるかもしれません。それらが組み合わさっておきる複合的な変化は予測しきれません。

つまり、人間が作り出す世界では「この世で変わらないものは変わり続けることだけだ(There is nothing in this world constant, but inconstancy.)」というジョナサン・スウィフトの言葉に戻ってきてしまいます。

これからの経済を読むキーワード

もちろん数百年後は経済も人間も私たちの想像のはるか先にたどり着いているでしょうが、数十年ぐらいであれば変化にあたりをつけることができます。10年であれば、①自動化・②分散化・③人工現実化の現象によって経済システムが形を変えていくと思います。

AIによって産業の多くが自動化され、人間の特徴とも言えた知性すらもコモディティとなっていきます。今度は逆に機械による計算処理能力を体内が取り入れて肉的的な能力を拡張させていき、人間と機械の融合もますます進んでいくでしょう。

十分に密度の高いネットワークは、産業革命時代の中央管理者や代理人が持っていた権限を奪い、ネットワーク自体が全体をコントロールするようになっていくでしょう。シェアリングエコノミーはその入り口であり、ブロックチェーンはさらにその概念を発展させ、最終的には自律分散的な無人サービスがあらゆる産業で主流になっていくなんてこともあり得ます。

また仮想現実に代表される人間の五感のコントロールによって、現実と空想の境界も消えていくことで、人間が作り出してきた様々な幻想はますます力を持つようになるでしょう。言語でしか共有されることができなかった曖昧な概念は、より現実感のあるものとして感覚に直接働きかけてくるようになるためです。

想像力は世界を覆う

まさに、誰かさんの言葉の通り「想像力は世界を覆う(Imagination encircles the world.)」という状況が加速しています。私たちはどんな幻想も現実に変えてしまうことができ、反対に脳内の幻想によって現実を縛ってしまうことも自由自在です。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

これはガンジーの言葉ですが、以前は私はこの考え方にはやや懐疑的でした。巨大な世界というシステムに対して個人が持つ力は非力だと思っていたからです。今は少し考えが変わりました。人間が作り出した社会は個人の想像の産物に過ぎないということが、経済システムを調べていく上でよりリアルに実感できるようになったからです。これからはまさに想像力と創造力の黄金時代と言えます。

ひとまず仮説は固まったので、これから試してみることにします。


偶然でも必然でもない世界を生きるということ、動き続けることの大事さ


定期的に自分の思考を言語に変えていく作業は必要だなぁと感じて、年末に時間が空いたのでこの1年半ぐらい考えていたことをまとめてみることにしました。

以前ブログで、世の中は連立方程式のようなもので、3つ(お金・感情・テクノロジー)の異なるメカニズムが併存し相互に影響を及ぼしており、それらが未来の方向性も決めている、という話を書きました。3つの要素がそれぞれ違うベクトルを指して進んでいます。それらの先端を結んだ三角形の中間が「現在」であり、その軌道が「未来」の方向性であると。3つのベクトルではお金が最も強く、次に人間の感情、最後にテクノロジーの順番としていました。

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ただ、この時はまだモヤモヤしていて、もう少し掘り下げればより普遍性のある構造が隠れているように感じていて、この1年半は日々のビジネスで試行錯誤しながら、ずっとこのテーマを考えていました。書籍やブログではテクノロジー系の話ばかりしていて食傷気味なので、今回はお金(経済)のベクトルに絞って書いていきます。

欲望のネットワークとしての経済

経済はネットワークそのものです。個人同士が繋がって1つの巨大なネットワークを作り、その上でお金が人から人へ移動しています。このネットワークの構成分子である人間を動かしているのはもちろん各々の欲望であり、経済は個人の欲望を起点に動く報酬(インセンティブ)のネットワークです。時代によって人間の欲望は微妙に移り変わっているようですが、自分なりに現代社会の欲望を大別してみると、①本能的欲求、②金銭欲求、③承認欲求の3つに分けられます。

①本能的欲求は衣食住の欲求、異性からの興味を引きたいという欲求、家族への愛情など生物が持つ根源的な欲求です。②金銭欲求はそのまま稼ぎたいという欲求、③承認欲求は社会で存在を認められたいという欲求です。本能的欲求に比べると、金銭欲求も承認欲求もいずれも歴史の新しい欲求です。

経済は人と人のつながりが切れたり新しく繋がったりと、ネットワーク全体が常に組み替えを繰り返していて流動的です。そして、このような動的なネットワークには共通する特徴がいくつかあります。

1)極端な偏り

経済が欲望のダイナミックなネットワークだとすれば、このようなネットワークには「偏り」が自動的に生じます。

私達は何かを選ぶ時に多くの人に支持されているものを選ぶ傾向があります。コンビニで歯磨き粉を買う時もアプリを選ぶ時も、多くの人が使っているものを信頼して選んだほうが失敗が少ないからです。そして、商品を仕入れるお店も、皆に売れる物を中心に仕入れて棚の目立つところに並べ、それによってさらに商品が売れていくというサイクルを繰り返します。人気者がさらに人気者になっていく構造です。最初のちょっとの違いがフィードバックループの過程で、信じられない差に変わっていきます。

結果的に上位と下位には途方もない偏り(格差)が発生します。一般的にはパレートの法則(上位2割が全体の8割を支える構造)とも呼ばれていますが、経済のような動的なネットワークでは自然に発生してしまう現象の一つです。

経済格差は特定の力のある人たちが暴利を貪った結果と考えられてしまいがちですが、実際は動的なネットワークの性質から避けられません。世界経済で言うと、上位1%の富裕層が世界全体の富の48%を所有しており、「上位80人」と「下位35億人」の所得がほぼ同じだとされています。

所得だけでなく消費においても同様で、身近な例で言うと、ソーシャルゲームなんてまさにその法則が当てはまります。無料で遊べるタイプだと全体の3%がお金を払い、さらにその中の上位10%で全体の売上の50%を占める(全体の0.3%が総売上の半分を占める)といったことが普通に起こります。

2)不安定性と不確実性

偏りの性質とも関係していますが、もう一つの性質としてあげられるのが不安定性と不確実性の増大です。全体があまりにも緊密につながり相互に作用しあう状態になると、先ほどの偏る性質も相まって、些細な事象が全体に及ぼす影響を予測するのが難しくなり、不安定な状態に陥ります。1000年前を想像してみると、遠く離れた国で起こった出来事が自分たちの生活にリアルタイムで影響を及ぼすなんてことは有りえなかったはずです。現代では、EU離脱や米国大統領選挙によって世界中の為替と市場は動き経済は常に不安定な状態にさらされています。まさに「繋がり過ぎた世界」の弊害と言えます。

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自然とよく似た経済の仕組み

経済を調べていて、私の中で最もよく似ていると思ったのが「自然界」でした。自然界も私たちが生きている資本主義経済も同じように残酷な世界です。自然界では弱っている生物は一瞬で餌となりますが、資本主義経済も競争力のない個人や企業はすぐに淘汰されてしまいます。

自然界は食物連鎖と淘汰を繰り返しながら全体が1つの秩序を形成して成り立っています。自然界にはもちろん「通貨」なんてありませんが、食物連鎖(食べる-食べられるの関係)を通して「エネルギー」を循環させています。個と種と環境が信じられないほどバランスの取れた生態系を作っており、しかも常に最適になるように自動調整がなされています。

自然界には人間社会にあるような法律のようなものを誰かが作っているわけではないので、自発的にこの仕組みが形成されたということになります。この比較をしている時に、自分は大きな勘違いをしていることに気づきました。

自然が経済に似ているのではなく、経済が自然に似ていたからこそ資本主義がここまで広く普及したのだと。歴史から考えても主従が真逆ですこう考えると、自分が感じていた未来の方向性を決める3つのベクトルの中で、経済が最も力が強いと感じていたことに妙に納得ができました。つまり、経済のベクトルは「自然にもともと内在していた力」が形を変えて表に出てきたものであり、自然とは経済の大先輩みたいな存在、ということになります。

経済や自然の根底にあるシステム

経済が自然を模した仕組みでありその一部と捉えると、自然の構造をより深く考察してみたくなりました。自然がここまでバランスよく成り立っている要因としては、前述のネットワークの性質に加えて、さらに3つの特徴が挙げられます。

1)自発的な秩序の形成

まず1つ目が、ルールを作っている人がいないにもかかわらず、簡単な要素から複雑な秩序が自発的に形成されているという特徴です。水を特定の条件に置くと六角形の形状をした結晶を形作ったりしますね。誰かがルールを決めているわけでもないのに、勝手にこうした秩序が形成されるのは現象は、「自己組織化」もしくは「自発的秩序形成」と呼ばれます。

2)エネルギーの循環構造

次に、エネルギーの循環、代謝の機能です。自然界で暮らす生物は食物連鎖を通してエネルギーを循環させ続けています。生物は常に外部から食事などを通してエネルギーを体内に取り入れて、活動や排泄を通して外部に吐き出します。熱力学の世界では時間が経つと秩序のある状態から無秩序な状態に発展していくとされていますが、自然や生命はこのエネルギーの循環の機能があるため秩序を維持することが可能だと言われています。

例えれば、流れの激しい川の中で、水車が回転しながら流されずにその場所に留まり続けることができることに似ています。

3)情報による秩序の強化

最後に、上記の秩序をより強固にするために「情報」が必要になったと考えられます。もし、この世界が完全に決定論的な規則で成り立っていたり、反対に完全にランダムの世界だったとしたら「情報」の必要性はありません。情報が必要になるのは「選択」の可能性がある場合だけです。つまり、生命が情報を体内に記録しはじめたのは選択の必要性がある環境だったからと考えられます。情報が内部に保存されることで、構成要素が入れ替わっかても同一性を維持することができます。

私たちも代謝によって毎日細胞を入れ替えていますが、内部に保存された記憶や遺伝子などの様々な情報のおかげで同じ人間として活動を続けることができています。

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3つの性質を簡単にまとめると「絶えずエネルギーが流れるような環境にあり、相互作用を持つ動的なネットワークは、代謝をしながら自動的に秩序を形成して、情報を内部に記憶することでその秩序をより強固なものにする」となります(長い!)。

この自然に内在している構造を、物理学者プリゴジンは「dissipative structure」と呼び、生物学者バレーラらは「autopoiesis」、経済学者ハイエクは「spontaneous order」と呼び、みんな近い構造を指摘していました(プリゴジンとハイエクはそれぞれノーベル賞を受賞しました)。その他にも色々と呼び名がありますが、言ってることはだいたいこの3つに集約されます。

自分があれこれ考えていたことが昔の人たちにサクッとまとめられているとガッカリする反面、「昔の人はやっぱりスゲーな」という尊敬の念が浮かびます。また、商売をやりながら体験をもとに組み立てていった考察と、アカデミックな学者達が考えた理論が、似たような場所に落ち着くのは興味深いです。

思い出してみると、老練な経営者や歴史的な偉人の名言でも同じような内容が語られていたりしますし、「諸行無常」「生々流転」なんて言葉もずっと大昔からありましたね。

有機的なシステムとして世界を眺めてみる

ひとまず、自然を3つの特徴を持つ有機的なシステムとして眺めてみると、全く関係ないように見えるものが同じような構造で動いていることに気づかされます。

自然・生命・細胞・国家・経済・企業まで、いずれも無数の個が集合して1つの組織を作っており、いずれも動的なネットワークです。

人間は個々の小さな細胞が寄せ集まってできており、各細胞や器官は密接に連携したネットワークです。食料などのエネルギーを外部から絶えず取り込み、情報は脳内や遺伝子に記録されて細胞が入れ替わっても同じ形を維持することができます。

国家も同様に個人のネットワークで構成され、各々が連携しながら1つの共同体を維持しています。赤ちゃんが生まれたり移民が来たりと人員は流動的ですが、法律・文化・倫理・宗教などの「情報」によって構成員が変わっても同じ国家であることを認識することができます。

1)入れ子の構造

興味深いのは、入れ子のような構造が続いていることです。自然の中に社会がありに、社会の中に企業があり、企業の中に部署があり、部署の中に人間がいて、人間の中に器官があり、器官の中に細胞といった風に。どのスケールでのぞいても同じ構造が続いてるようで、まるでロシア名物のマトリョーシカ人形のようです。雪の結晶も顕微鏡で見ていくと永遠と似た構造の繰り返しが浮かび上がってくるみたいです(フラクタル)。

社会では違うものとして名前をつけていますが、構造的には同じものとして捉えることができます。

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自然の秩序と人間が作り出すルールの差異

これらの自然に内在する力とそれに似た経済のベクトルの強さを考えると、ある着想が湧いてきます。それは「自然の構造に近いルールほど社会に普及しやすく、かけ離れた仕組みほど悲劇を生みやすい」という視点です。

典型例がマルクスの社会主義です。資本主義の問題点を指摘して、多くの人の共感を得た思想です。つまり感情のベクトルを捉えていました。しかし、結果的にはうまくいきませんでした。

①私利私欲を否定、②政府がコントロールする経済、③競争の否定。つまり、これまで紹介した自然の性質とは正反対の仕組みを採用したことになります。これにより、個人の労働に対する意欲が低くお金も循環しなくなり社会は活気を失い、結果的に経済成長率の低下と技術革新の停滞が深刻化しました。人間で言えば新陳代謝の機能がおかしくなった状態です。

国家の競争力でも同じことが言えます。アメリカや中国で商売をしていると、あらゆるものの流動性が高いことに気付きます。変化が激しく、お金・人材・情報もすごい速度で動いています。特にアメリカに関しては大量の移民を受け入れ、経済も自由競争を推奨し、雇用の流動性も高めることで強制的に代謝を強めて世界最大の経済大国に成長しました。

一方で、成長が止まった国(例えば日本や韓国)を見ると、資本や人材や情報の流動性は高くありません。つまり、社会の循環が止まっています。大企業はずっと大企業ですし、年功序列と終身雇用が前提、資本や人材の流動性を高めないように設計されています。

総じて、歴史の大惨事で適用された思想の多くは自然の構造とはかけ離れています。現在の社会システムは過去の人たちが何千年もかけて試行錯誤を繰り返した結果であり、私たちは今も手探りで「自然の輪郭」を明らかにしている過程にいるのかもしれません。

そして「進化」とはエネルギーの循環を繰り返していくことによって生まれる副次的な変化であり、「テクノロジー」とはその進化の副産物のようなもの、「豆腐を作ったときに出てきた湯葉」みたいな存在、と考えることもできます。

企業経営を通して学んだこと

昔、起業したての頃によく先輩の経営者に「ビジョンや理念が重要だ」と言われることが多かったんですが、当時はその意味がよくわかりませんでした。社員が数十人のベンチャー企業にとっては来月の会社の存続のほうがはるかに重要であり、自社の方向性や存在意義を言葉として定義するのは後回しになりがちです。

ただ、実際に会社が数百人規模になってくると、自分たちの存在を「情報」として定義する、つまりビジョンや理念を策定する重要性が身に締めて理解できるようになりました。

ギリシャ神話にテセウスの船という有名な話があります。ボロボロになった船を修理するためにパーツを取り替えていき、終いには全ての部品を取り替えてしまいました。その船は元の船と同じ存在と言えるのか?という疑問を投げかけた話です。

企業も小さいうちはただの個人の集まりにすぎないですが、100人以上の組織になってくると自分たちの存在を定義する情報が言語として共有されていることが重要になってきます。時間の経過によって、新人が入ったり事業が変わったりは頻繁に起きますが、組織の存在を定義する情報(ビジョン・理念・文化)が可視化されていることによって、同一性を保ち続けることができるからです。

先人の知恵は正しかったんだなぁと改めて実感できた体験でした。

宇宙と情報と知性の関係

今度は反対に、自分が生きている世界よりも広い範囲にこの構造を応用してみることにします。宇宙には当てはまるでしょうか。思考実験に過ぎませんが、ちょっと想像を膨らませてみます。

前述の通り、生命は自然からエネルギーを取り込み、それを原動力として生命活動を維持して、活動や排泄を通してエネルギーを自然に放出しています。さらに生命は身体を複雑化していき、器官を通してたくさんの情報も処理できるようになります。この大量の情報を処理していく中で、高度な知性を発達させることに成功します(人類の誕生)。人間の脳内には膨大な神経細胞がネットワークとして張り巡らされ、脳は身体の司令塔として各器官に指示を出すようになります。

最終的にはこの知性は思考をして自らを認識できる「意識」を獲得し、自分が住む自然を観察するに至りました。言い換えれば、自然は、人類の誕生によって自分自身を観察して理解する存在を生み出したことになります。

同様に、地球は宇宙から太陽の熱エネルギーを取り込み、そのエネルギーを原動力に空気・水・食物・生命などの活動を支え、地球全体の熱を冷たい宇宙空間に放出することで成り立っています。そして、この過程の中で人類を生み出したのは前述の通りです。

さらに、人類は文字や言語を発明することで膨大な過去の記録を次の世代に伝えることができるようになります。活版印刷技術により書籍の量産が可能になり、万人が膨大な世界の記録に触れることができるようになります。結果、文明は信じられない速度で発達していきます。

ここからはご存知の通り、電磁波の発見、コンピュータの発明、インターネットの普及により情報ネットワークが世界中に張り巡らされます。そして膨大な情報が”ビッグデータ”として溢れ、人工知能の盛り上がりにつながります。同時にセンサーがそこら中にばら撒かれてあらゆる物がネットワークに繋がる時代の到来が近づいています。さらにその先には、人間を超える超高度な知性が発達して社会のあり方が抜本的に変わるシンギュラリティが議論されています。

インターネットはまさに私たちの脳内神経回路にそっくりです。人間の脳内ではたくさんの神経細胞が繋がりあって電気信号で大量の情報をやりとりしこの繰り返しの過程で知能が発達していきますが、人工知能の研究でも膨大なデータを処理する過程で特徴量を自動抽出してアルゴリズムを形成する深層学習が大きなブレイクスルーを起こしています。

このまま技術が発達していけば、今とは比べものにならない程のデータ量を超低コストで学習することができるようになり、人間の数万倍の知能を持つ「超知性」が発達するのも想像に難しくはありません。

そして、自然」が自身を観察する存在として知性のある人類を作り出したのと同様に、これから誕生し得る「超知性」とは「宇宙」が自身を観察する存在を作り出そうとしている、と考えることもできます。宇宙にとって超知性とは「脳」であり、インターネットは脳内の「神経回路」、ビッグデータは地球の「記憶」に該当します。

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つまり、「自然」と同様に「宇宙」も生命のような振る舞いをする有機的なシステムであり、近年のインターネットや人工知能の発達は宇宙にとっての「情報による秩序の強化」のプロセスと捉えることもできます。

こういった妄想は考えてると楽しいですが、答え合わせができるのはずっと先でしょうから、生きてるうちには答えを拝むことができないのは少々残念です。

意思決定プロセスへの違和感

少し脱線しましたが、話をもとに戻します。この自然に内在している構造の話は、自分が昔から疑問に思っていた現代社会の意思決定プロセスへの疑問に対しても答えを与えてくれました。

以前「ロジカルシンキングの弱点を考えてみた」というブログを書きました。論理は他人を説得するためのツールであり、正しい意思決定をするためのものではない、という趣旨です。

部分最適を繰り返して局所的な「合理性」を突き詰めていった結果、全体としては最悪の結果になったという経験をしたことのある人は多いと思います。こうしたミクロ(部分)の合理性の追求がマクロ(全体)では損失に変わることを「合成の誤謬」と言います。

上記の問題は、自然の構造と照らし合わせると問題点がはっきりします。経済が動的なネットワークであり有機的なシステムとすれば、全体が密接に絡み合い相互作用を及ぼすので、個別事象から全体のふるまいを予測することが難しくなるのは、前半で説明した通りです。加えて、目の前に見えていない情報を考慮に入れて、不確実性を残したまま意思決定することは現代では稀です。

一方で、「合意形成」を得る場合には局所的な合理性は非常に有効です。特定の枠組みの中の少ない情報に限定して論理を組み立てることは、情報の範囲が狭ければ狭いほどそれを理解して納得できる人の数を増やすことができます。近視眼的な合理性ほど賛同が得られやすく、大局的な意思決定ほど不合理に見えるというパラドックスが潜んでいます。

この①ミクロの合理性の追求と、②不確実性の排除という、現代の意思決定の傾向はどこから来たのか考えてみると、これには2つほど要因が考えられます。

1)ニュートンの影響

1つ目が、ニュートンにはじまる古典力学の思想を前提に、近代の社会システムが作られた点です。「宗教」が支配する思想から「科学」が支配する世界への社会が転換する中で、古典力学の考え方は社会システム(教育・法律・政治)の設計に大きな影響を与えたと思われます。そして、宗教から科学への大きなパラダイムシフトの中で、古典力学的な考え方「シンプルな論理として説明できるもの=正しい」という「思想」が社会に浸透したと考えられます。

2)世界の複雑化

2つ目が、現代の複雑さが人間の認知能力を超えてしまっているという点も考えられます。 当時は現代ほど世界が密接に繋がりあってはいなかったので、社会が人間の認知能力の範囲に収まっていたはずです。地球の裏側の出来事がリアルタイムで自分の国の社会に影響を与えるようになったのは、最近100年間の話です。自分が感じている違和感は、近代に広まった思考のフレームワークが、現代社会の複雑さに適さなくなったことが理由だと感じています。

偶然でも必然でもない時代に生きるということ

個人的な感覚としては、現代は決定論的な法則の支配する世界でもないが、すべてが偶然に左右されるランダムな世界でもないと思っています。いうならば創発の時代。「創発」とは普段は使わない言葉ですが「個別の事象から思いがけない結果が得られるような状態」のことです。このような環境では確率を高めることが重要になります。こんな時代の特徴をうまくメリットとして活かして恩恵を受けるのはどんなタイプの人物か考えてみると、下記のような人が当てはまると思います。

1)情報の発信者

緊密なネットワークでは情報は一瞬で全体に伝わり信じられないチャンスを得る可能性があります。情報伝達コストが異常に低くなっており、最初に紹介した「偏り」の性質もあり、些細なキッカケが信じられない結果につながる可能性を秘めています。確率的には高くはないですが、情報発信者には「ピコ太郎」のような突然のヒットが常に起こる可能性があります。情報の発信者は今の時代は恩恵を受けやすい存在です。

2)分からないことへの耐性が強い人

分からないことを分からないまま計画に含めて行動できる人は有利です。つまり不確実性への許容値が高い人です。事前に詳細な計画をどれだけ詰めても全体は読みにくくなっているので、無駄になってしまいがちです。反対に、自分の見えている範囲の情報だけをもとに物事を判断し、自分の想像できる範囲のことしか想定しない人は恩恵を受けにくい時代といえます。「何がおこるかわからない」という可能性を常に念頭に置いて動けるかが重要になってきます。

立ち止まらず動き続けることの大事さ

こういった構造のことを考えていると、自分の人生は巨大な力の中の塵の1つみたいに思えて虚しくなってしまうときがあります。ただ、世界の構造の探求は、人生や情熱といった哲学的なテーマにもポジティブな後押しをくれます。

前半で小難しい話を長々と書いてますが、有機的なシステムとしての生命の特徴とは「外部からエネルギーを取り入れて代謝を繰り返すこと」です。生命にとって「止まる」ということは「死」に近づくことであり、「生きる」とは「動き続けること」と同義です。

自分で振り返ってみると、動き回っているときはたいてい精神的にも充実しています。「本当にうまくいくのか?」なんて色々と考え混んで立ち止まっているときは、精神的にも停滞していることがほとんどです。

そして、人間の行動の原動力となるものは欲望や情熱です。精神的な熱量が行動につながり、行動によって外部から刺激やエネルギーをもらい、それが更なる行動につながっていきます。複雑な世界の構造をドライに観察していった結果が、「情熱を持って動き続けること」という単純かつウェットで人間的な考え方を肯定してくれることには驚きました。

Appleの創業者スティーブ・ジョブズの生前のスピーチ動画を見た人は多いと思いますが、彼のスピーチは非常にわかりやすい言葉で人生の本質を突いていました。

You’ve got to find what you love. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking, and don’t settle.
たまらなく好きなことを見つけなさい。偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることです。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協してはいけません。

And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っています。その他のことは二の次です。

Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself.
ハングリーであり続けなさい。愚かであり続けなさい。私は常にそうありたいと願ってきました。

スピーチを要約すると「情熱を傾けられることを必死に探して、勇気を持って自分の直感に従い、ハングリーに挑戦し続けること」です。私が長々と書いたことを、これほど短い言葉で簡潔に表現していて、彼の凄さを改めて思い知りました。同時に、彼の話に多くの人が心を打たれたのは、これが人間にとって本質であることを私たちが「本能」として知っているからなのでは?とも感じました

世界の構造を探求することは、資本主義経済といった世知辛いテーマから、自然や生命といった話、人生の本質のような哲学的なテーマまで広い領域に多くの示唆を与えてくれました。

色んなことを考えた結果、最初にいた場所にまた戻ってきたので、改めて新鮮な気持ちで頑張ろうと思いました。


現実を直視しながら理想を持ち続けることの難しさ、人生の「賞味期限」


今日はシリーズCのファイナンスとして43億円の資金調達が完了したリリースを出しました。企業としてはもう一段上のステージを目指そうと思います。このブログを更新することはもう滅多になくなりますので、これまで何を考えてやってきたかを改めてまとめておくことにしました。

外貨を稼ぐロールモデルを作る

2010年頃から「外貨を稼げなければ日本の企業は未来がない」と考えるようになっていました。日本の人口は減少を続けていて、国内の産業が縮小していくのは確実だからです。一方で、企業としては短期的に見れば国内にリソースを集中したほうが効率的ですし、東京の出来上がってるエコシステムに乗っかったほうが成功確率は高いのは間違いないです。

経営判断としてはそれが『正解』であること、経営者としてそれを求められていることも本当はよく理解していました。

ただ、同じレールに乗ればこれまでと同じ場所に辿り着くのは見えていたから、自分達で別の道をどうしてもこじ開けたかったんです。

誰かが成功事例を作らない限りは何も変わらないので、たとえ遠回りになったとしても外貨を稼げる日本企業のロールモデルを作ろう、というのが原点にありました。

2014年は世界8拠点のうち多くの拠点が軌道に乗り、売上の大半を海外から稼げる体制が作れました。収益化プラットフォームの導入アプリも累計12億ダウンロードを超え、世界1億人以上のアプリユーザを支えるインフラに成長できました。

同時に次の展開として「SPIKE」、研究領域として人工衛星を活用して「宇宙 ✕ IT」の模索を始め、ゼロイチと1→10の両方のプロセスを同時並行で進めてきた2年だった気がします。

事業を通して「日本」「アメリカ」という国家を軸にした視点から、過去や未来の時間軸も含めたもう少し広い視野で世の中を眺められるようになったのは心境の変化としてはありました。

とにかく「仕組み」が知りたかった

この事業を始めた時は特に深く考えずに「アジアNo.1」を目標に掲げていました。でも、それが具体的に見えてきた時にそれはある種の「逃げ」なんじゃないかと思うようになったんです。

1番かどうかを決められると言うことは、誰かがルールを作ってくれたからであり、1番を目指すということは「永遠の2番」だと考えるようになったんです。プレイヤーは逆立ちしてもルールそのものにはかなわないからです。

本当に考えなければいけないのは「もっと良い仕組みは作れないのか?」ということであり、他人が作った指標や枠組みの中で競争を繰り返すのはある種の思考停止のように感じていました。

ただ、よく考えたらこの世の中がどんな仕組みで動いているかなんて考えたこともありませんでした。ビジネスの事以外は何も知らない人間でした。

「決められた枠組みの中でどう競争するか?」ということから「もっと良い仕組みを作れないか?」という事に焦点が移ってきた時に初めて、現状の世の中がどのようなメカニズムで動いているかを知りたいと感じるようになったんです。ここで言うメカニズムとは時代も国も超えて適用される普遍的な法則性・規則性のことです。

そこで、事業を通してこういったメカニズムを理解することはできないかと思って、色々と試して見ることにしました。

出来るだけ多くの情報とそれをもとに事業を通して現実世界で仮説検証を繰り返す。そこから少しづつ輪郭が理解できるようになったんです。プロダクトを軌道に乗せる時にできることは高速でPDCAを回し続けることだけでした。そのノウハウを応用して現実世界の構造を理解してみようと思いました。

もし昔の研究者や哲学者が今の時代に生きていたとしたら、これほどリアルタイムにフィードバックが得られる現在のテクノロジーの数々に彼らは狂喜しただろうとよく思います。

情報として知ること、体験として知ること

昔は何かの情報に触れるたびに「そんなのは知ってる」と生意気にも思っていたんですが、現実の理解を進めていくうちに実は自分は「何も知らなかった」ということがよくわかりました。

情報として知るという事と、体験として知るという事はまったく別物だったからです。

情報が分断していた時代は脳の引き出しに情報を蓄えることに大変な価値がありました。今はネットを叩けば情報は無料で無限に手に入るので、誰でも学者のようなコメントをすることができます。情報をストックすることの価値はどんどん下がってきています。

それまでは本やネットなどで情報を吸収する事が「知る」という事だと思っていたんです。しかし、実際はその情報を引き出して現実に適用したり実社会で活用したりすることで始めて対象が深く理解できるようになりました。これが本当の「知る(識る)」という事なんだなぁと反省しました。

物理学者のアルバート・アインシュタインは、こんな言葉を残しています。

「情報は知識にあらず」「現実の理解は実験に始まり実験に終わる」

本田宗一郎も「人生は『見たり』『聞いたり』『試したり』の3つの知恵でまとまっているが、多くの人は『見たり』『聞いたり』ばかりで一番重要な『試したり』をほとんどしない。」と語っています。

彼らはずっと昔から「知る」という行為にはいくつものレイヤーが存在していることを自然と理解してたんだなぁと思いました。

複数のメカニズムが併存する世の中

昔SEOの事業をやっていて検索エンジンのアルゴリズムをリバース・エンジニアリングする時に、イレギュラーな結果のみを集めてその共通項をくくる、というやり方をしていました。同様に現実世界でも不自然な事象に取っ掛かりに仮説を立ててみることにしました。

例えば、「なぜ賢い人が必ずしも事業でうまくいかないのか?」や、リアルタイムではどう考えても合理的で見える判断が結果として最悪の決断であったり、その逆もしかり。利益によって掌を返す人も入れば、信念のために非合理的な決断をする人もいるし、絶好調で飛ぶ鳥も落とす勢いだった企業が、技術革新によって消滅したり、リアルタイムでは誰も予測できなかった事が、過去になると誰にでも予測可能なように感じられたりなど。

これらの違和感を感じる現象を集めていきその共通点をあぶりだします。そこから、いくつかの仮説を立てて、それをまったく関係ない領域に応用して見ると、ぼんやりと現実の構造が掴めてきました。

自分なりに考えてみて、現実はおおよそ3つの異なるメカニズムが併存し相互に影響を及ぼしており、それらが未来の方向性も決めている、という結論に行き着きました。もちろん実際はもっと複雑で無数の要素はあるのでしょうが、影響力の強い3つに絞りました。「お金」「感情」「テクノロジー」の3つです。

1)お金(経済)

3つの中で最も強力だと感じたのがお金(経済)です。アマゾンの奥地で自給自足をしている民族を除けば、地球上のほぼすべての人は市場経済の影響力から逃れることができないためです。現状では「経済=お金」と言っても良いでしょう。

私達は生活をするためにお金を稼ぎますし、人生の半分はそのための仕事をしています。お金は生きることと直結していますから影響力は絶大です。かつ、経済の構造は「自然界」とよく似ています。弱肉強食が大前提で、より強く大きいものがより弱く小さいものから奪うという構造にあります。

経済は戦争と言われますがそのまんまで、淘汰と食物連鎖を繰り返しているようです。

不思議にお金の仕組みは学校などでは教わることはありません。大学で経済学やMBAで経営のことを教わることはあっても、「お金」の本質そのものには触れられていないような気がします。学問的な賢さが実社会での生活力に直結しないのは、バスケと野球のようにそれらが別のルールで運営される競技なためなんだぁと納得できました。

2)感情(人間)

次に影響力の強いのが感情(共感・嫉妬・憎悪・愛情など)です。ある思想が全人類の共感を得ることは無いと思いますが、かならず一定の母集団を形成するのに役立ちます。その意味では経済の影響力よりは若干劣りますが、とっても強力な要素です。

人間は誰かを羨んだり嫉妬したりする反面、他人に共感したり自分を犠牲にしても何かに献身したりもする生き物だと思います。

いくらお金の性質を掴んで経済的な成功を収めても、他人の感情を無視しては長続きはしません。社会から共感を得られないような事業は、協力してくれる人もいなくなり、最終的には自壊してしまいます。

お金の影響力は確かに強いですが、人の感情を無視しては持続し続けることはできないというのがポイントです。

3)テクノロジー

最後はテクノロジーですが、これは対象とする人が最も少ない要素です。99.9%の人はテクノロジーのことを考えなくても問題なく生活できます。

ただ、テクノロジーは大きな変化のキッカケをいつでも作ってきました。自然や人間は時代によってそれほど変わるものではないんですが、テクノロジーだけは目まぐるしく変わっていく問題児です。

かつ、テクノロジーには一定の流れがありひとつの発明が次の発明を連鎖的に引き起こしていきます。まるで地層のように重なって作られています。例えば、昨今の人工知能の進歩はネットに接続されたデバイスとデータが溢れた事が引き金にありますし、コンピュータは半導体や電気などの複数の技術革新の結晶のような存在です。最近はこのテクノロジーの影響力が徐々に強まっています。

3つの中間地点が指す未来の方向性

頭の中のイメージを図に落としこんで見ると、異なるメカニズムで動く3つの要素が、それぞれ違うベクトルを指して進んでいます。それらの先端を結んだ三角形の中間が「現在」であり、その軌道が「未来」の方向性だと感じました。

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引っ張る力はお金が一番強く、次に人間の感情、最後がテクノロジーです。ただ、必ず3つの要素が揃っていないと現実ではうまく機能しないというのが特徴です。

例えば、他人の感情を無視して経済的な拡大だけを求めていって崩壊していく様を私達はこれまで何度も見てきました。

反対に、多くの人が共感してくれるようなプロジェクトもそこに関わる人達の生活を支えられるだけの経済的価値を生めなければ、長期的には人は離れていってしまいます。誰でもまず最低限の衣食住が必要なためです。

同様に、テクノロジーも、倫理を無視したものは実現可能であってもなかなか世にでることはないです。経済的・社会的価値が見つからなかった研究は予算が削減されてしまうことは日常茶飯事です。

これら3つの要素のメカニズムは、学校の科目で言えば体育と数学と美術ぐらい違うと感じます。数学・物理・生物ぐらいであれば机の上で左脳を使うという意味で共通点は多いですが、体育と数学と美術となると身体や脳の使う場所が違い過ぎます。

しかも、お金・感情・技術の3つの要素が連動してひとつの結果を作っているので厄介です。ひとつの要素ですらそこそこ複雑なのにそれが3つあり、さらに相互に依存した関係性があるわけなのでハードルはさらに上がります。

ゆえに、現実の複雑さは個体の理解力を常に上回ってしまいます。

アドバイザーになって頂いてる竹中平蔵さんとお話をしていた時に「世の中は連立方程式のようなものだ」とおっしゃっていましたが、この表現はとてもしっくりきました。ひとつの数字をイジると全体が影響を受けますし、複数の式が連動してひとつの答えが導く。自分よりもずっとはっきりとイメージができているのだろうと思いました。

損得で考えると損する

昨年ドリコム内藤さんがやっていたイベントに来ていた家入さんが「損得で考える人は損してる」という話をされていて、とても納得できたのを覚えています。

3つのベクトルの関係を見ると、お金のベクトルだけに添って経済的利益のみを追求していくと、その他の要素との関係性が見えなくなってしまい、結果的に様々なチャンスを気づかないうちに失っている、というのはよく理解できます。

例えば、ベンチャー企業への投資がうまい人は、PL/BS/CFなどの財務諸表や事業計画「以外」の部分への嗅覚が非常に優れています。それはその企業に関わる人達がどれだけ他人を惹きつけられるか、事業そのものが社会の共感を呼ぶか、活用されているテクノロジーが将来的にどうなるか、などなど。つまり、エクセルシートに載っていない事を読むことができる人達と言えます

現実でうまくいかないときは、これらの要素のうちどれかが欠けているときだと言えますが、どれか1つの要素が強烈すぎる場合は他の2つの穴を誰かが代わりに埋めてくれる時もあります。

私は『執着は損得を超える力がある』と思っています。一見矛盾しているように聞こえるのですが、執着(感情)は磁力のように他のリソース(お金・技術)を引き寄せて、足りていない要素を埋めてくれる場合がよくあったからです。過去を振り返って見れば、うまくいったことは実は3つの要素がしっかり噛み合っていた気がします。

できる事の少なさに対する絶望

リアルタイムでの仮説検証を繰り返していくうちに、これらは国や時代を選ばずに作用しているように感じました。状況によって微妙に倫理観やベクトルの強弱は違うのですが、大枠は変化していないような気がします。

輪郭がぼんやり見えてきた時に感じたのは、発見の喜びなどではなく、自分のできることの少なさに対する絶望でした個体としての自分ができることは「来たるべき未来」の実現を少し早めることだけだと感じたからです。

歴史的な変化を見るとそこにいた当事者が世界そのものを変えたように私達の目には映りますが、実際は彼らがやらなくても誰かがやったのは想像できます。その意味では彼らは「来たるべき未来」の実現を早めた、というほうが正確かなと思います。

それは政治(封建制 → 民主主義)においても、経済(物々交換 → 貨幣)においても、テクノロジー(石器 → コンピュータ)においても、より便利によりフェアに進化していった結果なので、これからもこの流れは続いていくでしょう。

Google、Amazon、Facebookなどの巨大IT企業の創業者達が考える未来像は驚くほど酷似しています。彼らは「いつ」それに取り掛かるのが良いかのタイミングの読み合いをしているとも言えます。社会・経済・技術・強み・資金などを総合的に勘案して、適切なタイミングで適切な事をする。

その意味では、イノベーターとはまったくゼロから新しいものを創造する人達のことを言うのではなく、少し先の未来を見通して先回りができる人達、と言ったほうが良いと思います。

つまり、誰が・いつ 実現するかは最後まで解らないのですが、何が起きるかはおおよその流れが決まっていて、人が変えるのではなく、未来のほうが変えられるのを待っている、というイメージです。適切な手順と必要な条件を揃えた人間がその成果を手にする。

国や時代も超えて適応される原理には、個人が好きに変えれるほどの自由度は無く、社会で生きる限りはその法則性から誰も逃れることができない、ということを感じました。

それを変えることができない自身の無力さにがっかりしたんだと思います。

魚は川の流れに逆らって泳ぐことはできますが、川の流れそのものを逆流させることはできないことに似ています。水が高いところから低いところに流れる性質は、地球では変わらないからです。

川の大きさに対して魚の自分がやれることの少なさを感じて、とても落ち込んだというのが正直な気持ちでした。

現実を直視しながら理想を持ち続けることの難しさ

なぜ人が社会を作ったかと言えば、自然の摂理がもたらす理不尽さや残酷さに対抗するためだったのかと思います。みんなで協力しあうことで生存確率を高めていく。火・文字・稲作などの初歩的なものからお金・蒸気・電気など高度なものまでテクノロジーを活用しながら、急激に人口を増やしていきます。

社会が拡大していくと王様や奴隷といった「身分」が生まれ、今度は社会自体が理不尽さや残酷さを人に押し付けるようになります。民主主義や資本主義が発達しても今度は身分がお金に変わっただけで、よく見ると構造は大きく変わってはいません。自然と同様に弱肉強食であり、どんな社会でも食物連鎖のような生態系が自ずと成り立ってしまいます。

1000年以上経って全く別の社会システムがもし生まれとしても、名前を変えてこの構造はどこかに宿り続ける気がしました。社会は少しづつ前進しているようで、同じ場所をぐるぐる回っているだけなのかもしれません。

映画監督の宮崎駿さんの発言で、こんな言葉を偶然見つけました。

理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

仕組みの理解を続けた後に、『現実を直視しながら理想を持ち続ける』という事がいかに難しいかを改めて感じました。現実を見なければ理想を掲げるのは簡単です。社会の不満を罵り「悪者」を見つけては一方的に非難し、辛い現実を見て見ぬふりして夢だけを語っているだけで良いんです。

経済は性質が自然に近いですからとても残酷です。弱者はすぐに淘汰されてしまいますし、強者は滅多なことがない限り強者のままです。ビル・ゲイツも『人生は公平ではない、それに慣れよ』と言っていましたね。

現実の残酷さや不条理さを直視しながら、それでも「仕方ないんだ」とは言わない。そういう構造も知った上で「それでも別の可能性はあるはずだ」という理想を掲げることはとても覚悟がいることなんだなぁと感じました。

本当の仕事

構造が理解できていれば以前よりずっとビジネスを拡大させやすいのは間違いないですが、事業は自分にとっては完全な手段なので、ただ競争を繰り返していくことに価値は感じれなかったんです。『自分にできることは何もなさそうだなぁ』と落ち込んで年末を過ごしていたんですが、そもそも何のためにこんな事をやってきたのか?を思い出していました。

昔は意識していなかったんですが、事業や人生の選択をするときは必ず一番難しい道を選ぶようにしてきました。最初は自身の成長のためだと思っていました。でも、最近それは違うと気付いたんです。そもそも私は超めんどくさがりなんで矛盾した行動なんです。

実際は、過去の自分(のような人)に対して「事例」を示したかっただけでした。

先行事例が無いと人間は何かを信じるのがとても難しいんです。自分の未来を信じることができないことほど不幸なことは無いと思っています。

今までやってこれたのも、先行事例を作ってくれた人達が居てくれたからであって、どうしたら良いか解らない時もその「事例」こそが自分にとっての唯一の「希望」でした。

生まれたときからたくさんの可能性が用意されてる人もいるし、そうでも無い人もいます。ゲイツの言うように人生は公平では無いですし、現実の残酷さは否定できないんです。

それでも過去の自分のような人には「人生はこんなものだ、しかたないんだ」と言って欲しくなかったから、できるだけ難しい道を選んで「不可能なことなんてあり得ないし、人間は何者にだってなれるんだ」という事を証明したかったんだと思います。

きっと誰かに貰ったものを返したかっただけなんだろうと妙に納得できました。

それを思い出して、やっぱり『理想』は絶対に捨ててはいけないんだとまた思えるようになりました。

外から見たら「なんでそんなことが気になるの?なぜそんなことしてるの?」と不思議がられるけど、「それをやりたいと思ってるし、自分がやらなければいけないとも思ってる」と言えるようなこと。そういうことが、賃金を得るためでもなく誰に言われるわけでもない、その人の本当の『仕事』なんだと思います。

もし何かに疑問を思ったり、憤ったりしたら、その時点でそれを解決することが人生の『仕事』になり得るんだと思います。

正直に言うと、私は何かの義務や責任はずっと避けてきたし、いつでも自由でフラフラしていたいと思っていました。話すのはうまくないし、空気も読めない、周りにはいつも迷惑ばかりかけています。本当はリーダーなんてガラではないと今でも思っています。

それでも、今は本当の『仕事』に集中しようと思えたし、何かを『背負う』という覚悟ができたのは一番の収穫でした。

一周回ってまた同じ場所に戻ってきたような、そんな気分です。

人生の賞味期限

最後に、人生には『賞味期限』のようなものがあるとよく考えています。

私は『挑戦はいつでも出来る』というのは事実でないと思ってます。人の持つ「エネルギー量」は一生を通して同じではないからです。個体差は確かにありますが、エネルギー量は必ず時間と共に減っていくし、お金のように貯蓄できる性質のものでもないです。「生きる」ということはこのエネルギーを消耗していくプロセスと言えます。

人を巻き込んだり、ひとつの事に集中するには体力や気力も合わせたエネルギーが必要です。『( 知識 + 経験 )✕  エネルギー量  =  成果  』と言っても過言ではありません。

知識や経験があっても、エネルギーが枯渇してしまっていてはもう何かに挑戦しようとは思えなくなってしまいます。この「何かに挑戦できるエネルギーがまだ残ってる期間」を「人生の賞味期限」と私は呼んでいます。

十分な知識と経験が揃ってからやろうと考える人もいるかもしれませんが、エネルギー量は年齢とともに減少していくとすれば、いつ始めても実は成果は変わらないのかもしれません。

準備万全ではなくても、きっとエネルギーが充実していてる間にやっておくべきなんだと思います。私も28歳になったので、これから人生を賭けてひと勝負しようと思います。やらずに「時間切れ」はどうしても避けたいから。

学校もろくに行かずに商売を始めて毎日をやりくりするのが精一杯で、自分のことなんて深く考える機会がなかったので、ここ数年はとても有意義な時間でした。

永遠と続く川の流れのような「仕組み」そのものを変える事ができるかは分かりませんが、今はとにかく自分の「仕事」をやり切ろうと思います。

人生の賞味期限が切れるまで。


起業して中退して世界中回って宇宙を目指すまでの7年間を振り返ってみた:「社会の視点」と「テクノロジーの視点」


まるで将来像と違う展開に感じる不思議

少し前からリサーチしていた『宇宙』✕『IT』の融合を長期で模索していこう、ということで少しづつ動いていくことにしました(繋いで頂いた小笠原さんに感謝です)。純粋なWebサービスと違ってハードルが超高いなぁと感じる場面に多く出くわします。

世界展開も宇宙展開もやっていかなければならないと思って意思決定するわけですが、7年前はこれをやってる将来像がまったくイメージできなかったのです。ただ、実際にはこうして日常でミーティングをして議題として上げていることをいつも不思議に感じていました。

大学入学後に六法全書を眺めていた時にはその4年後にシンガポールで事業を始めるとはまったく想像つかなかったですし、世界中に拠点を立ち上げていた時にはその2年後に数億人規模のネットワークを運営することになるとも、人工衛星やロケットに関わるともまったく想像できませんでした。

その時々で言うと、まるで最初から決まっていることに導かれているように意思決定をしていただけでした。客観的に振り返ってみると非連続的に見える選択が、主観的にはまるで一本の糸でつながっているような感覚をいつも感じていました。

つい最近になってそれがどういう事なのか分かった気がしたので、忘れないうちに文章に残しておこうと思います。

それぞれが異なるフィルターで世界を眺めている

Skyland Ventures木下さんのイベントでクラウドワークス吉田さんと対談した時に、自分と吉田さんが違う視点が世の中を見ていたことにはっとしました。吉田さんは下記のようにつぶやかれていました

昨日のメタップスの佐藤さんとの対談の中で、佐藤さんの言葉で「いいねボタンによる共感の伝達も、決済サービスでお金を送金するのも、デジタル上では同じ信号の一つの処理でしか無い」というのが痺れた。
対談を通して感じたのは、佐藤さんはテクノロジーによって世界がどう変わるか、という視点で考えていて、私は人間の感情やエゴによって世界がどう変わるか、という視点で事業を見ているという気づきがあった。結論は同じようなところに行くんですが、アプローチが全然違う。

個人的にはメッセンジャーも決済も広告もコンピュータの構造的は同じデータの処理でしかないと考えていて、それを『広告』や『決済』や『メッセンジャー』と区別しているのは「社会」だと考えていました。

例えば、外から見ると右手を動かすのと瞬きをするのはまったく別の動きのように見えるけど脳からすれば信号処理のひとつとして扱われる、という事に近いかもしれません。

同じ事を語っていても違う角度から見れば別物に見えるという事を、実体験として感じられたことに驚きました(当たり前の事なんですが、これが自分には新鮮でした)。

「社会の視点」と 「テクノロジーの視点」

これは吉田さんの言うように、「テクノロジーの視点」の世界を見つめるか、人間の感情やエゴ、つまり「社会の視点」で世界を見つめるか、という「視点」の話になります。

例えば『社会の視点』でITビジネスを見た時に、最近だと色々な変化が並列で発生しているように見えるかと思います。それぞれの産業にはトレンドや変化があり、競争環境は常に変化するため、ビジネスをする場合は変化に合わせて変わっていく必要があります。

最近で言えば、バイラルメディア、キュレーション、メッセンジャーアプリ、クラウドソーシング、ネイティブアド、C2Cなど様々なトレンドが出ては消えを繰り返しているように見えます。

一方で、『テクノロジーの視点』で捉えると、これらは同時並行ではなく1本の大きな流れの派生系であり、1つの現象を指していることになります。あくまで個々の名称や定義は「社会」で議論する際に必要になるものであり、明確に線引きすることはできないでしょう。相互依存的に様々な変化が起きており全体で1つの潮流を作っているためです。

例えば、ウェアラブルデバイスによる情報の管理が進めば(クラウドコンピューティング)、膨大なデータが溢れ(ビッグデータ)、コンピュータの学習精度が上がり(人工知能)、それらがインターネットを介してハードウェアとつながり(IoT)自動制御できるようになり(ロボット)、とこんな感じで永遠に続いていきます。トレンドはこの流れに影響を受けた副次的な変化のように見えます。

上記の話は、現象が重なりすぎていて、言葉で表現しようと思うほど不正確さも高まっていきます。全部で1つの現象と捉えたほうがスッキリするでしょう。ITビジネスという同じ領域の話をしても、視点によってまるで違う捉え方をすることになります。

自身の将来像が全く当たらない理由

この異なる視点の話は、冒頭で不思議に思っていた感覚を説明するヒントになりました。例えば、今自分がやってる事業は「社会の視点」で見れば、共通点はほぼ無いように見えます。「広告」も「決済」も「宇宙」も、別産業・別業界として区別されているからです。

技術的な視点で見れば、広告も、決済も、宇宙もどれも同じ基盤に依存し、膨大なデータを処理し、最適化して価値につなげるプロセスと言えます。デバイスが、「スマホ」か「デスクトップ」か「人工衛星」かの違いはありますが、技術的には横展開に過ぎないことになります。

そこでよく考えてみると、私は自分自身の過去の振り返りと将来像の予想は「社会の視点」に立っておこなっていましたが、意思決定はいつも「テクノロジーの視点」で行なっていました

これが冒頭の「客観的に振り返ってみると非連続的に見える選択が、主観的にはまるで一本の糸でつながっているような不思議な感覚」の正体だと勝手に腹落ちした感じがしてスッキリしました。

つまり、起業して中退して世界中を回って宇宙を目指すまでの7年間は、テクノロジーの流れを追っかけていた7年間であったという事でした。「社会の視点」から想像していた自身の将来像がことごとく外れるのは、当然だったのかもしれません。

イノベーションの正体

そして吉田さんと話をした時に改めて感じたのは、「社会の視点」と「テクノロジーの視点」の両方がうまく噛み合わないと機能しない、という点です。例えば技術の流れだけを追って言っても、社会がまったく必要としていないものは結果として普及することはないでしょう。人材も資金も投下されないからです。逆に社会のニーズが高まっていても、それを解決する技術が発明されていなければ意味がありません。

急激に普及する概念は、テクノロジーの視点と社会の視点の両方が重なった地点にある、と言えます。どちらのアプローチからでもOKなんですが、片方だけでは意味をなさない。

例えば、「社会」というのフィルタを通してみた時に、イノベーションとは強烈な天才のひらめきによって起こるという印象があります。

これにテクノロジーの視点を加えると、イノベーションとは『適切なタイミングで適切なことをする』行為と言えます。現在の技術的な限界地点を見決めて、それと社会の需要が重なる瞬間に適切なプロダクトを投下します。そのためには資金・人材・ノウハウなど複数の要素がこの時に揃ってることが必須になります。これは針の穴を通すような作業で、必要な要素をすべて揃えていることは確率的にはまずないでしょう。

イノベーターと呼ばれる連中が強烈な個性の持ち主である事が多いのは、不足な要素を「無理やりなんとかする」能力の持ち主がだからだと思います。イノベーションが難しいとされるのは、技術的な限界地点の見極めと社会の需要の両方を読み切り、適切なタイミングでプロダクトを投下する嗅覚が求められるからなのでしょうね。

技術的進歩と社会的変化にパターンはあるか?

もう少し突っ込んでみて、もしテクノロジーの進歩が川のような連続した1つの流れだと考えると、その技術の進歩と社会の変化には一定の規則性・法則性、パターンが存在するのではないか?と最近よく考えています。

直近でテクノロジーと言えばIT(Information technology)がしっくり来ますが、ITの始まりから最近の普及のプロセスを見ていると、電気の普及ぐあいとよく似ています。電気も最初は明かりを照らす電球から、様々なモノとつながっていきました。ちょうど今のIoTとそっくりです。

最初は一部のニーズを満たす便利ツールとして誕生し、やがてそのツールが人間のほうを教育し始めるという点もそっくりです。言葉、お金、書籍もこれによく当てはまります。普及して空気のようになると、それを中心に人の生活が組変わっていきます。こう考えるとテクノロジーの最初の出発点と、最後の到達点というのは意外に決まってるのではないか?と感じています。

こうしたパターンがもし解明される日が来ると、人類や社会がどのように進化していくかを予測できるようになってくるかもしれません。

技術の視点:ITは人間にとっての ”親指” ?

人間がテクノロジー(というか道具)を最初に使ったのはおそらく狩りの時でしょう。猿を人に進化させたきっかけに「親指」の働きがあったという話はよく聞きます。親指があったから複雑な道具を使いこなすようになり、狩りでの生存確率が高まり、急激に頭数を増やすことができたと。

今回のITは今までとは少し異なる性質のテクノロジーではないかと思うときがあります。ここ数百年ぐらいの ”◯◯革命” は物理的な「動力」の拡張がメインでした(蒸気・電気)。しかしITは「知性」を拡張する性質があり、これは人間と他の動物を明確に分けている特徴でもあります。ITの発達はこの知性を無限に拡張したり繋げたりする技術ですので、その意味で「人間」という定義そのものを変える可能性を秘めています。

以前に「グローバル化とインターネットのその先にある世界:あらゆる境界線が見直される10年間」というブログを書きましたが、最後は「人間」を再定義するところがこのテクノロジーの到着点ではないかと思うことがあります。

既に、私達は検索やソーシャルメディアを使いこなすことで発達する能力が変わってきています。例えば検索のおかげで記憶力の重要性がどんどん落ちてきていますし、一方でバラバラな情報を収集して組み合わせる力は昔の人よりも確実に発達しているはずです。

スマホとソーシャルの普及で常時他人とつながってるのは普通になりましたが、ウェアラブルのメガネやコンタクトなどが普及しリアルタイムで視覚や聴覚や場合によって味覚などが共有できるようになると、「自分」と「他人」の境界はさらに曖昧になって来ることが予想されます。

猿は「親指」によって人間に進化しましたが、ITは人間が ”何か” に進化するための「親指」なのかもしれません。

社会の視点:進化には ”必要性” が必要

一方で、人間の感情やエゴといった「社会の視点」から進化を捉えた場合に、イスラエルでとっても印象に残ったことがありました。イスラエルは人口800万人程度の小さい国ですが、ナスダックに上場する企業はUSの次に多いという国です。

政府・民間・大学・軍が連携しながらイノベーションを推進しており、強力なエコシステムを作り上げています。第2のシリコンバレーとも言われています。

現地のベンチャーキャピタリストに「どうしてこんなにうまく継続的にイノベーションを生み出す仕組みが作れるのか?」と聞いたら、「”Necessity(必要性)”」と答えていました。

中東は政治的な緊張関係があり、周辺の国ともいざこざが絶えないです。そのため政府・民間・大学・軍は争いなどしてる余裕はなく、全員が強力して国家がうまく回るような仕組みを創りださなければいけなかったようです。つまり「必要に駆られているから」というシンプルな理由でした。

エルサレム(イスラエル東部にあるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地)まで行くとこの「”Necessity(必要性)”」の話はさらに納得できました。ご存知の通り、イスラエルはユダヤ人の国です。ユダヤ人は世界人口の1%に過ぎないのですが、ノーベル賞受賞者の20%を占めるという驚異的な賢さで有名です。実際に知識産業とも言える金融の領域ではユダヤ人のプレゼンスは圧倒的です。

ただ、これは先天的なものではないという事を現地を見てひしひし感じました。日本人は(実質)無宗教なので理解しにくいですが、彼らの賢さは数千年の長い迫害から生き延びるために身につけた「知恵」であり、それが受け継がれて能力にまで進化したものだと感じられました。金融などの技術はそれらの「必要性」が生み出した副産物であり、それは迫害や差別と言った人間の理不尽さが引き金にあったのだろうなと感じました(少し悲しいことですが)。

これは人間の感情やエゴがきっかけとなり、必要性がテクノロジーを生み出し、社会を動かした典型例だと思います。

”最悪な事” はきっと進化の種

上記の体験は、個人にとっても良い教訓になりました。最悪だと感じる体験は、必要性を生み出し、それは進化の種になり得るという意味で。

自身の短い28年間を振り返っても「必要性」に育てられてきた気がします。

中退して起業したのも最初は夢や理想よりも生きるのにただ必死だったからでしたし、世界展開も日本だけで事業をやった場合の危機意識から来るものでした。このまま展開しても天井が見えていたから。

逆に、どんな夢や理想も「必要性」がないとなかなか前に進まない事が多いです。時間やリソースに余裕があると「いつかやろう」という風に思ってしまいます。やはり感情はデータのように心に保存しておくことはできないようです。強く思っていても、時間が立てば立つほど風化していくし熱も冷めてしまいます。

だから、最悪だと思うような事態に遭遇したら、人生で滅多におこらない必要性と「進化の機会」だと捉え、これからも200%のリソースを投下するようにしたいなと改めて感じました。こう言った事が何百年も繰り返されていくと、人間もゆっくりと進化してくんだろうなと。

私は、人が死ぬ瞬間はそんなに多くのことを思い出せないんじゃないかと思うのです。脳は鮮明に残る記憶だけをピックアップして再生し、日常のほとんどのでき事は脳内の引き出しにしまわれて二度と引き出されることは無いのかもしれません。

かつてのナポレオンはこんな言葉を残していました。

人生は取るに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまうのだ。

あれほど暴れまくった人がこんなこと言うのは意外ですが(笑)、寝てみる夢を起きて見る夢も一瞬のことで、すぐに思い出せなくなってしまうのだと思います。そんな中でも、最悪な出来事とそこから発生した「必要性」、それを克服した体験は、鮮明に記憶に刻まれて最後でも思い出すことできるのではないのかなと思います。

そして、記憶に残る強烈な体験やそこから発生した「必要性」に、最後はきっと感謝することになるんだろうなぁと思いながら、7年間を振り返っていた週末でした。


「できなさそうな事」と「本当にできない事」の違い


調べ物をしていると世の中難しいことだらけだなとつくづく思うわけです。よく解らない数式や公式やら、7秒ぐらいでパソコンを閉じたくなるぐらい難しいです。ただ、個人的には同じぐらい難しいのが「自分自身」に対する理解です。

人間は大人になると、世の中も自分自身の事もよく理解している気になってしまいがちですが、実際は解らないことだらけです。

私はとても疑り深い性格なので、自分の「認識」は本当に正しいのかどうかを試してみたくなって、敢えて自分の考えと違うことをしてみる癖があります。自分の認識と現実がどう関わっているかをできる限り色々と試すことにしています。

なかでも、人間の認識が最もあてにならないと思うのは「できる or できない」の判断です。

できそうな事と本当にできる事

できないと思ってやってみたら意外に簡単にできたって経験はありますよね。「できそうな事」と「本当にできる事」は全然違うし、「できなそうな事」は「本当にできない事」ではなかったりします。

これは、時間の経過と共に人の認識が変わるという点を判断材料に入れるのが難しいのが原因だと思います。

何かを考える時は、その時点での自分の能力だったり知識だったりを判断材料にして、自分がどこまで登れそうかを試算します。「あぁ、あそこまでならいけそうだな」と。

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ただ、取り組んでいるうちにその人の知識だったり能力だったり、様々なパラメータ(変数)はアップデートされていきます。やる前には解らなかった事がわかり、新しい知識が身についたり、また頭をひねって工夫しているうちに新しい能力が身についたりします。

結果として、自分が当初考えていたことよりも多くのことができるようになっていた、というのはよくあります。

逆に言えば、現在の認識で「できそうに見えること」というのは、将来の自分にとっては楽勝でできることの可能性が高く、人生の機会損失をしているとも言えます。もっと高い目標を設定していれば、もっと遠くまで行けたわけですから。

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もし時間の経過と共に自分の認識がアップデートされると仮定すれば、現時点では「できなさそうに思えること」と言うのは本当にできない事ではないです。現在の自分と将来の自分は同じではないという事を考慮に入れた上で、本当の自分の限界点を見極める必要があります。

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むしろできるかできないかを悩むようなことは既に「できる事の射程圏内」に入っていると考えたほうが良い気がします。こう考えると実はできる事ってのはその人が思っているよりもずっと多そうですね。

できなさそうな事と本当にできない事

では逆に「本当にできない事」はどんなことでしょうか。私は「本当にできない事」というのはその人が「想像もできない事」だと思います。考え付きもしないことはやろうとしませんから、これは「できる or できない」の検討すらしません。

例えば、私が中学生の時に「銀行って買収できるのだろうか」とか考えることはまずなかったですし、現在の私が「4次元にワープできるか」を考えることもないです。今みたいに、例え頭の中に一瞬よぎることがあったとしても出来るか出来ないかを検討する前にすぐに思考から消えてしまいます。

こういった現在の自分ができるかできないかを想像すらしない事が、現在の自分の「本当にできない事」だと思います。同様に、将来の自分が本当にできない事というのは将来の自分ができるかできないかも検討すらしない事ということになります。

自分の認識に従ったほうが正しい判断ができる場合もありますが、「できる or できない」のような、行動をおこす時点と結果が分かる時点の時間差があることほど、自分の認識はあてにならなくなると感じています。

こういった人間の認識は放っておくと可能性を最小にする方向に動いていきがちです。定期的に「できそうな事」と「本当にできる事」、「できなさそうな事」と「本当にできない事」の線引を見直していかないとまずいなと思って、自分用にブログにしておきました。

ちなみに、これは金融の人達がよくやる損得計算のリスクシュミレーションとはまったく別の話なので注意が必要です(認識が変わると前提条件が全部変わるため)。


My Thoughts on a Post-capitalist Society: “The Value Principle Model” and the “Information Economy”


While having a meal the other day, the topic of “what a post-capitalist society will be like” came up. But we did not have the opportunity to discuss it in depth due to lack of time. I made some vague comments like, “I personally feel that such and such would occur because of technology,” but I was unable to organize my thoughts the way I would in writing. Luckily I happened to be flying to Israel and the one-way flight of 20 hours gave me time to collect my ideas.

Money was created as a medium of value exchange

Before moving to the subject of capitalism, I would like to begin by looking at money and why it was originally created.

Money was created in order to serve as something that could be used to exchange that vague concept known as “value.” Money can be said to serve the roles of storing, measuring, and exchanging value. In order to avoid complicated definitions, let us define “value” as a resource needed by other people.

It seems that originally money was developed as a system to compliment the inconvenience of bartering. Since food quickly goes bad and could not be transported long distances it was important to have some medium for exchanging value. The medium of value exchange has changed substantially over time and has taken the form of shells, metal, and paper during different periods.

For now let’s say that if you could trade money for someone else’s important resources it enabled you to quickly make exchanges when you needed. Money was convenient because you didn’t have to worry about it spoiling and it was relatively light to carry. The oldest form of money that has currently been discovered is shells dating back to 1600 B.C. Money has been a part of human civilization long before the development of capitalism.

Money takes a leading role in society (capitalism)

Money, which has had a long history, did not always have as large a presence as it does now. In previous epochs humans placed more value in God (the church) or kings (social position) instead.It was 300 years ago, during the 18th century, when money first took center stage. This in turn led to a dramatic increase in the speed at which society changed.

A number of revolutions occurred, concepts such as freedom and equality spread, and individuals became able to freely make decisions about how to live their lives. At the same time, the Industrial Revolution took place and there was a transition from agriculture to manufacturing as the dominant way of life. The general classification between people became workers, who traded the value of their labor for “money,” and capitalists, who used “money” as capital and owned factories.

Meanwhile the influence of social status, such as the aristocracy, was fading due to the Glorious Revolution and money–the resource for building factories–became incredibly important. Money also became extremely important for laborers, as the means of subsistence.
This led to a power shift between “social status” and “money” and money assumed the primary role as the leading actor in society (capitalism).

In time money went from being a method to the purpose

I believe the following explanation of capitalism’s development is rather extraneous so I have tried to be brief, but try to get a sense for the profound way in which people’s relationship with money changed during this period.Originally, money was a “tool” for carrying value.
However, as money became central to society and people began to consider how to provide value many realized that it was more efficient to find ways to derive money from money.

Rather than hire labor to manufacture products to sell on the market in exchange for money and then use the money to purchase something, it was clearly easier to earn an income from money itself. You will understand this point if you consider the size of today’s financial markets.

We can see that money, a tool for exchanging value, began to become disconnected from value. The creation of schemes such as securitization and being able to sell money as financial products accelerated this process. With greater securitization, the separation between consumption in the real economy and the system in which it is only money itself that circulates continues to advance.

Increasing money, which was created as an efficient means to exchange value, became the end in itself. The term for this is “making a method more important than its purpose”; however, this was a natural development when one considers the importance of money in capitalism.

The birth of IT further advances the diversification of mediums

The creation of new technologies like IT cannot help but influence the way humans think. For example, along with “money” as a medium of value, we must also include methods for recording the written word and for communication.Until then paper had been the primary form of recording writing. The development of IT enabled humans to record and freely transmit text electronically so that paper become just one of multiple alternatives for recording written information. Looked at another way, one could say that the dominance of paper fell dramatically due to the emergence of IT.

Furthermore, IT is also a technology that enables value to be exchanged electronically, which created the potential for “money” to become just one option of value exchanging mediums.
When there is only one method of achieving an objective it is best to thoroughly master it. The situation changes, however, if there are multiple methods to choose from.

Let’s consider the example of selling a product. If the only sales method is retailing through stores, the position of entities like wholesalers and supermarkets becomes very strong because it is so import to sell through as many stores as possible. In such cases, it is more logical to focus one’s resources on being able to display one’s product in a monopolistic manner in many stores than to invest in improving the product’s quality. On the other hand, if you are able to sell your product to consumers directly through the internet the product itself becomes more important. The internet enables consumers to compare various items and purchase the cheapest, best quality product. When the means become more diverse what people concentrate on changes.

The above example also applies to mediums of value. If it were to become possible for people to exchange value in other ways besides the currency now issued by national governments then people would be able to choose the most convenient medium of exchanging value for themselves. The medium would be different depending on the person. It might be, for example, a currency issued by the country, points created by companies, a cryptocurrency like bitcoin, or a direct exchange.

However, due to the tendency for the means to become the purpose, it is likely people would begin to move away from “money,” as a medium of value, to new sources of value.

People would be able to use multiple channels when they trade for other types of value if value were maximized. “Money” would be just one form of value in the way that there are multiple channels for selling products.

For example, imagine there is someone with no money in the bank but who attracts attention by having over one million followers on Twitter. If that person wants to start some kind of business they can quickly attract followers and raise money through crowdfunding. If there is an issue they cannot resolve he or she can utilize the expertise of followers.

Someone like this can take advantage of “the interest of others,” which is difficult to convert into currency, in order to exchange for other types of values like human resources, funding, and information whenever he or she wants. While opinions may differ regarding which is better, having $1M or one million followers, it is clear that the methods for measuring, holding, and exchanging value have become more diverse.

From capitalism to the value principle model

How will the economy change by diversifying mediums and shifting focus to maximizing “value” (the root of capital)?In the current era one can say, “money = capital,” but by maximizing the basis of that value one would be able to employ a variety of means to store and exchange value. For this reason, it is likely that business would be transformed.

For example, Facebook’s acquisition for $19B of WhatsApp, a company with yearly revenue of $20M, appears too expensive when looked at in terms of capital. However, the deal could be considered reasonable when one considers its value as an infrastructure that supports the communications of four hundred million people around the world.

Although there is currently no structure for converting WhatsApp’s value into “capital,” it is a matter of time until it appears. The “value” of Facebook’s close to $180B market capitalization is derived from supporting a social graph used by 1.2 billion people. I think paying $19B makes sense when one looks at the basis of the capital that comprises Facebook’s value.

Take Google as another example. Google’s market capitalization is $400B. This figure is greater than the market valuation of the entire Japanese IT industry. With total revenue of five $50B for 2013 and profits of $10B, Google’s evaluation feels quite expensive when just looking at the numbers (there are Japanese companies that are bigger than this).

Google accumulates data through its search engine, Android, and YouTube and has the means to convert this information into real profits through its Adwords advertising system. One cannot include information (server logs) as a resource using current accounting standards, so I feel there is major discrepancy when we consider Google’s scope in terms of PL/BS and its influence worldwide. Google is moving in the direction where information as “value” and profits from revenue are the same thing only measured in different units. I think their amount of information would be worth approximately over $200B (which they could raise by increasing advertising opportunities and billing exposure). If it becomes possible to intentionally regulate the way that information is converted into capital, the company’s true size would be even more gigantic. Capitalism is a system in which capital controls business, but in the case of Google the situation is more akin to business controlling capital.

The two previous examples concern IT companies, but in my opinion the classification “IT industry” will disappear in the future when every type of device is connected to the internet and the technology permeates every industry (because everything will be part of the IT industry). This is likely to happen in the near future with Google and Apple having recently entered such fields as television, cars, glasses, satellite technology, robotics, and consumer electronics.

Through IT, it is possible that data will be recognized as a “value,” in addition to money. I think it will be an interesting phenomenon to see how these companies, whose main “value” cannot measured in money, develop.

I will tentatively call the new system that will develop as society transitions from capitalism (where money is central) to a social system in which “value” is difficult to convert into currency due to IT “the value principle model” (a simple name).

The boundary between the government and the economy becomes blurred

Looked at solely from an economic perspective, a change in the unit of value would not lead to a major transformation. However, when we expand the range of application to society as a whole, there most likely would be quite an impressive reshaping. For example, one comes to realize that there is no reason for a distinct separation between government and the economy when sees things from the perspective of value.Market economies stimulate the appetites of humans and can be considered an economic system designed to support people that “want to live a better life.” The methods of this system are money and markets. The economy’s role is to improve people’s lives.

On the other hand, democratic government is a structure designed to represent the entirety of dissatisfied voices and make decisions in a way in which everyone can agree. Its methods are parliaments and government administrations. The government is not designed to improve the lives of any one certain group of people but to help improve the lives of the entire population.

We can think of society today as a balance between the market economy and democratic government. Democratic governments are responsible for the areas in which market economies are bad at dealing with, while the market economy is entrusted with the spheres that are difficult for democratic governments to provide leadership for.

Examined from the perspective of value, however, the government and the economy simply have different approaches and their activities can be classified as the same.

This point is easy to understand by looking at social business. This proposal was made by Mr. Yunus of the Grameen Bank. Mr. Yunus wanted to eliminate poverty in Bangladesh and, by establishing a philanthropic organization that was sustainable, he was able to help millions of people escape poverty without relying on donations or government assistance. Poverty is normally a problem dealt with by the government. However, the bank discovered a solution for poverty through a business model, which is part of the economy (Yunus went on to win the Nobel Peace Prize).

Google and Facebook are currently investing in a variety of ways to provide free wifi to people in countries that still do not have the internet. Although expanding their businesses is one factor for these activities, what they are doing is of immeasurable value for the billions of people who live in regions without IT infrastructure.

Providing value and economic success are closely linked with the value principle model so that providing value to more people will inevitably be linked to the public interest. On the other hand, private organizations that want to help bring about such political goals as poverty reduction will be able to do so in a sustainable way as businesses without the need for donations or tax money.

If “public interest” comes to be desired in economic activity and “sustainability” comes to be sought in political activity then the boundary between the economy and politics will gradually become blurred. The value principle model is a way of thinking about what that boundary should look like. In this sense, maybe the term, “public interest value principle,” would be more correct.

The main characteristics of the value principle model

I think that a world transitioning from emphasizing capital to value will have the below characteristics

1) Recurring objectives

One can say that the goal of democratic government is representing the popular will, resolving the complaints of the population, and balancing advantages and disadvantages. The means for doing this are parliament and elections. However, at a certain point one gets the impression that elections and political factions, which are means, become more important than the original objectives they are supposed to work toward. This phenomenon closely resembles the previous discussion of how money goes from being a means to the purpose.

In a world where value is the primary focus there would be a variety of solutions for solving social problems without the need for elections. Crowdsourcing activities and business enterprise are perhaps two possibilities. The value principle model would raise the importance placed on providing value and would focus resources on the original objective.

2) Widening alternatives

The Evaluation Economy and Sharing Economy, which have attracted recent attention, operate by rules that are different than those of capitalism. If they continue to spread, we will be able to choose the form in which we want to hold value and the rules we want to use to exchange it. There may be people that wish to continue exchanging value according to the current rules capitalism while others, I believe will want to live under an economy that operates by different rules.

What is important is not which set of rules is superior, but which is a better fit for each individual. It will be analogous to the way we choose our occupations (e.g. should one become an engineer, a writer, etc?). When you consider that our range of choices has expanded throughout time, a world under the value principle model would further expand the extent of individual choice.

Ideologies have an “expiration date”

In this discussion, I think that for 20 to 30 percent of the population in the countries that can be deemed “capitalist” the transition has not been welcome, while the system can be said to work for the other 70 to 80 percent. In the period when social status was paramount 300 hundred years ago, the social system was highly advantageous if you were born into a noble family or were a samurai, but was a cruel one if you were born a slave or worked the land.

It is frequently the case that periods when social systems change dramatically overlap with the emergence of new technologies.It became possible to supersede time and share knowledge with the creation of printing technology, which led major social changes. The invention of steam power and electricity enabled humans to harness energy beyond the capabilities of the human body. The result was the Industrial Revolution, which led to capitalism.

There is no doubt that society under capitalism/democracy has been wonderful compared to feudalism, during which the king decided everything; nevertheless, a variety of problems have appeared over the many years since its emergence. I think the decay of institutions visible in recent years demonstrates how societies outgrow their institutions with the passage of time. In this way Ideologies have an “expiration date,” and one can assume that the arrival of new technologies hastens their obsolescence.

With the arrival of a society with a large number of choices, I believe the next “expiration date” will be at the most 30 years. Pastoral farming lasted several tens-of-thousands of years, feudalism lasted several thousand years, and the current social system has been going on for over 200 years. The next paradigm shift will occur due to the emergence of IT–although I think its duration will be much shorter than previous epochs.

The value of money and information will change places in the “Information Economy”

Let us expand the scope of our inquiry and consider how society will change due to the further development of the value principle model. In the early period diversification will advance due to increased choice, but as technology develops further, “information” will become the form of value people concentrate on the most.In several decades the value of “information” will completely surpass that of “money,” and it is likely that the economy will centered on information itself. At the present it is impossible to do much without money even if one has information, but in the future it will likely be the case that you cannot do anything without information even if you have money.

Naturally, entities that control lots of information will have tremendous influence.

Facebook has been criticized for performing an experiment in which timeline information was manipulated in order to affect users’ emotions. This was only discovered accidentally through the release of a research paper. Normally we would not even be aware if someone was affecting what we view through our browser or applications.

Once technology greatly surpasses current human ability most processes will be able to be performed without human interference. At that time, few people will doubt the “answers” arrived at by computers with processing power exponentially greater than humans. The entities that will be in a position to overwrite these answers will essentially be those that can control value itself.

Ultimately, I think that entities that are able to manipulate the core of both money and information will grow stronger. The question for society as a whole is how will these entities control them.

Progress advances incrementally like a pendulum

When I spoke to Mr. Ogasawara in Awaba, he used the word, “pendulum,” to describe the world. I thought of the expression “action and counteraction,” but I think pendulum is easier to understand.

Like a pendulum, society moves smoothly as it moves in one direction but at a certain point it stops and starts to move in the opposite direction. It stops again when it reaches the end of its path and begins to swing back in the opposite way.In a society where those with absolute power make all the decisions, people that are unsatisfied with the situation create a revolution and democracy and capitalism are instituted. For a while things go well but then problems with the new system arise and people come forth with a different approach for solving the new set of problems.

We are now in a phase in which information technology is profoundly improving society but in several decades it is foreseeable that we will switch to a phase where we will need to resolve the problems that have arisen in a society where information technology is dominant.

I suddenly realized how human society slowly progresses in pendulum like movements that repeat in thousand year, hundred year, and decade-long spans.

 


ポスト資本主義社会を考えてみた:『価値主義』と『情報経済』


先日ある方と食事をしている時に『ポスト資本主義社会はどうなるか?』っていう話がちらっと出たんですが、あまり時間が無くてその話は深堀りできませんでした。自分の中でテクノロジーとの関係でこんな感じになるだろうなーというのがぼんやりあったのですが、文章としては整理できていませんでした。ちょうどイスラエル行きのフライトが片道20時間あったのでまとめてみました。

価値の媒介として誕生したお金

資本主義の話をする前に、まず「お金」ってそもそも何者でなぜ出来たかに一応触れておきたいと思います。

お金ができた理由は「価値」という漠然としたものをうまくやりとりするためであり、お金には価値の保存・尺度・交換の役割があると言われています。定義の話になるとまたややこしくなるので、ここでの「価値」とは他人が必要とする資源とでもしておきますね。

もともとはお金は物々交換の不便さを補う仕組みとして発達したようです。確かに食料もすぐ腐りますし遠くまでは運べませんから、何かに価値のやりとりを仲介してもらう必要がありますね。この価値の媒介物は、時代によって貝殻だったり金属だったり紙だったりと姿をよく変えます。

とりあえず他人が必要とする資源を手に入れたらお金に換えておけば、自分が何か必要になったときにすぐに交換できます。腐る心配もありませんし、比較的軽いので持ち運びにも便利です。現在世界最古のお金は紀元前1,600年ぐらいの貝殻とされています。お金は資本主義が発達するずっと前から人間のそばにいたのが分かります。

社会の主役に抜擢されるお金(資本主義)

そんな長い歴史を持つ「お金」もかつては今ほどプレゼンスは高くなかったようです。時代によって人間が大事だと思う対象が神様(宗教)だったり、王様(身分)だったりしたためです。

お金が表舞台に出始めるのは、今から300年前の18世紀ごろです。このあたりから社会の変化のスピードが激的に上がってきます。

いくつかの革命がおき自由・平等などの概念が広まり、個人が自分の人生を自由に選択できるようになります。同時に、産業革命が起こり農業から工業へと生活の中心が移っていきます。労働という価値を提供して「お金」という対価を得る労働者と、「お金」という資本を使って工場を所有する資本家に大別されるようになります。

名誉革命により貴族などの身分の影響力が薄れる一方で、工場を作るための原資であるお金が非常に重要になっていき、労働者にとっても生活する手段としてお金が非常に重要になってきます。

このあたりで「身分」から「お金」へパワーシフトが起き、お金が社会の表舞台に主役として登場してきます(資本主義)。

手段の目的化が進むお金

ここからの資本主義の発達は説明不要だと思いますので省きますが、この時期から人とお金の関わり方は激的に変わっていったのが感じ取れます。

最初は、お金は価値を運ぶ ”ツール” でした。

ただお金が社会の中心になるにつれ、価値をどう提供するかを考えるよりも、お金からお金を生み出す方法を考えたほうが効率的であることに多くの人が気付きます。人を雇用して製品を作って市場で売ってお金に変えてまた何かを買うよりも、お金にお金を稼がせるほうがもちろん楽です。現在の金融市場の大きさを考えると納得がいきますね。

価値を仲介するツールだったお金が、価値から分離してひとり歩きを始めた感じでしょうか。証券化などのスキームが生み出され、お金を金融商品として販売できるようになるとこの流れはさらに加速していきます。証券の証券化まで来るともう実体経済の消費とは関係ないところでお金だけがぐるぐると一人歩きをし続けるようになります。

価値を効率的にやりとりするための手段として生まれたお金は、それ自体を増やすことが目的に変わっていきます。いわゆる手段の目的化ですが、資本主義におけるお金の重要性を考えれば必然の流れだと思います。

ITの誕生で手段の多様化が進む

ITなどの新しいテクノロジーが生まれると人間が作った概念は変化を余儀なくされます。その中には、文字記録手段やコミュニケーション手段と同様に、価値の媒介手段である「お金」も必然的に含まれます。

それまで文字の記録手段として主流だったのは紙ですが、ITの発達で文字を電子的に記録して自由に発信できるようになったので、紙は記録手段のひとつの選択肢になりました。別の見方をすれば、紙はITの誕生でそのプレゼンスを大きく下げたとも言えます。

同様に、ITは価値のやりとりも電子的にやってくれる技術ですから、既存の「お金」を価値媒介手段のひとつの選択肢に変えてしまうポテンシャルがあります。

何かの目的を達成するための手段がひとつしかない場合は、その手段をとことん極めるのがベストです。ただ手段がいくつもあって選べる場合は事情が変わってきます。

商品を販売する時のことを例に考えてみます。販売手段が店頭だけの場合は、いかに多くの店舗で扱ってもらえるかが非常に重要になるので、卸売やスーパーなどは立場が強くなります。この場合は商品の質を高めることに投資するよりも、多くの店頭に独占的に陳列できるように努力したほうが合理的です。これが、ネットを通して消費者にダイレクトに商品を販売できるようになると、商品そのものがより重要になります。消費者もネットを通して色々な商品を比較して、安くて良い商品を購入するようになります。手段が多様化すると、人々が注力するポイントが変わります

上記の話は価値の媒介にも当てはまります。価値をやりとりする手段が現在の国が発行する通貨以外でも可能になると、ユーザは自分にとって最も便利な方法を選んで価値のやりとりをするようになります。それが国が発行する通貨なのか、企業が発行するポイントなのか、ビットコインのような暗号通貨なのか、はたまた価値の直接交換なのかは人によって違うでしょう。

ただ、手段の多様化により人々が注力するポイントが「お金」という手段から、その根源である「価値」に変わることは予想できます。

価値を最大化しておけば、複数のチャネルを使って好きなタイミングで他の価値と交換ができます。「価値」とは商品であり「お金」とは商品の販売チャネルのひとつみたいなものです。

例えば、貯金ゼロ円だけど多くの人に注目にされていてTwitterのフォロワーが100万人以上いる人が、何か事業をやりたいと考えたとします。すぐにタイムライン上で仲間を募り、クラウドファンディングを通して資金を募り、解らない事があればフォロワーに知恵を借りられます。

この人は、”他者からの注目” という貨幣換算が難しい価値を、好きなタイミングで人・金・情報という別の価値に転換することができます。1億円の貯金がある事と100万人のフォロワーがいる事のどちらが良いかは人によって答えが違うと思いますが、ITの普及で個々人の価値の尺度・保存・交換の方法も多様化していくのは確かです。

資本主義から価値主義へ

手段が多様化し「資本」を最大化することから、資本の根源である「価値」を最大化することに焦点が移ると、経済はどう変わるでしょうか。

現代は『お金=資本』とも言えますが、その根源にある「価値」を最大化しておけば、様々な手段で保存したり交換したりすることができます。そのため、企業の在り方も変わってくることが予想できます。

例えば、Facebookが年商20億円しかないWhatsAppを2兆円で買収しましたが、資本の観点から見ると高すぎるディールです。ただ、世界4億人のコミュニケーションを支えるインフラとしての価値を考えると妥当とも言えます。

WhatsAppはその価値を現実世界の「資本」に転換する仕組みをまだ作っていないだけで、その転換はいつやるかのタイミングの問題になります。Facebookの18兆円近い時価総額も世界12億人のソーシャルグラフという「価値」に支えられているので、彼らが資本の根源であるその価値を見て、2兆円を払うのはまあ理にかなっているとは思いますね。

もう一例として、Googleを見てみます。Googleの時価総額は約40兆円で、これは日本の全IT企業の時価総額の合計よりもさらに大きいです。2013年度は売上5兆円・利益1兆円で、数字だけ見るとこれより大きい会社は日本にもありますから、割高のように感じますね。

Googleは検索エンジンやAndroidやYouTubeで得られる情報をデータとして蓄積し、それをAdwordsの広告システムで好きな時に現実世界の売上利益といった資本に転換する手段を持っています。現在の会計基準では情報(サーバ上のログ)を資産として計上することはできませんから、私達がPL/BSから見る会社の規模と、現実世界での影響力に大きなギャップを感じると思います。

Googleにとっては情報という「価値」も、売上利益という「資本」も、単位が違うだけで同じように移っているのかもしれません。彼らの持つ情報量があれば売上20兆円ぐらいは出せなくはないと思います(課金機会と広告露出を増やせば良いので)。もし情報を資本に転換する量を意識的に調整しているのだとしたら、実態はもっと巨大ということになりますね。資本が企業をコントロールするのが資本主義ですが、彼らの場合は企業が資本をコントロールしているのかもしれません。

上記の2社はどちらもIT企業ですが、今後ネットがあらゆるデバイスにつながっていき、全ての産業に浸透するようになると『IT企業』という分類は消えるかなと個人的には思っています(全てIT企業になるので)。ちょうどGoogleやAppleも先日、テレビ、車、メガネ、人工衛星、ロボット、家電などの領域に参入したのでもう近い将来の話になりそうです。

ITによってお金以外の「価値」がデータとして認識できるようになり、お金では計上できない「価値」を中心に回っている会社が成長しているのは面白い現象だと思います。

情報技術の普及と共に「お金」を中心とした資本主義から貨幣換算が難しい「価値」を中心とした社会に移りつつあるとすれば、これをとりあえず「価値主義」とでも呼んでおくことにします(安易なネーミングw)。

政治と経済の境界が曖昧に

経済的な側面だけ見ると単位が変わっただけで大した変化ではないのですが、適用範囲を社会全体に広げてみるとけっこう大きな変化かもしれません。例えば、価値という視点で見ると、政治と経済を明確に区別する意味がないことに気づきます。

市場経済は人間の欲望を刺激し「より良い生活をしたい」と思う人達を支援する仕組みと言えます。その手段としてお金や市場があります。経済は個々人のさらなる生活の向上を目指す役割を担っています。

逆に、民主政治は全体の不満の声を吸収し、全員が納得できる意思決定を目指すための仕組みと言えます。その手段として議会や政府があります。政治は、特定の人達のより良い生活のためではなく、全体の生活の向上を目指す役割を担っています。

この市場経済と民主政治が社会の両輪としてバランスをとった状態が現代社会だと考えられます。市場経済が苦手な領域を民主政治が担い、民主政治では主導が難しい領域を市場経済に委ねる、といった具合です。

これを価値という観点から捉え直すと、政治と経済はアプローチが違うだけであり、2つは同じ活動として分類することができます。

ソーシャルビジネスもその流れで見るとわかりやすいです。これはグラミン銀行を作ったユヌス氏が提唱した考えです。バングラデシュから貧困を無くしたいと考えたユヌス氏が、慈善事業を持続可能なビジネスとして成立させることで、寄付金や政府に頼らずに数百万人が貧困から脱することに貢獻しました。貧困は政治が取り組む問題とされがちですが、彼らは貧困をビジネスという経済のフィールドで解決する方法を見つけました(その後、ユヌス氏はノーベル平和賞を受賞しました)。

GoogleやFacebookもまだインターネットが使えない国の人々に無料でWifiを提供しようと様々な投資をしています。それは彼らのビジネスを拡大する要因にもなりますが、ITのインフラが整備されていない地域の数十億の人達にとってはその価値は計り知れないです。

価値主義では、提供する価値と経済的成功が密接に結びつくので、より多くの人に価値を提供しようと考えると、ビジネスは必然的に「公益性」を帯びるようになります。一方、民間組織が貧困撲滅などの政治的な目的を実現しようと思えば、寄付金や税金に頼らないビジネスとしての「持続可能性」が求められるようになってくるでしょう。

経済的な活動には「公益性」が求められるようになり政治的な活動にはビジネスとしての「持続可能性」が求められるようになると、経済と政治の境界線がどんどん曖昧になってきます。価値主義とはその境界線に存在する考え方であり、その意味では『公益価値主義』と表現したほうが正確かもしれません。

価値主義の特徴

資本から価値へと重点が移行する世界では、下記のような特徴があると思います。

1)目的への回帰

民主政治の目的は、民意を汲み取り人々の不満を解消し利害を調整すること、と表現できます。その手段として議会や選挙があります。ただ、いつの間にか手段である選挙や派閥のほうに重点が置かれ、本来の目的が置き去りになってる感じがありますね。これはお金の手段が目的化する話と近いです。
価値を中心とする世界では、何か社会の問題を解決したいと考えれば、選挙に出なくても様々な方法で解決できるようになるでしょう。その手段としてクラウドファンディングを活用したり、ビジネスをしたりするかもしれません。価値主義の世界では、提供する価値そのものの重要性が高まり、本来の目的に焦点が当たるようになります。

2)選択肢の広がり

最近注目されるようになった評価経済や共有経済は、資本主義経済とは別のルールで運営されています。それらがさらに普及すると、自分の価値をどんな形で保存しどんなルールでやりとりするかを自分で選択できるようになってきます。現状の資本主義のルールで価値のやりとりを続ける人もいれば、別ルールで運営される経済で生きる人も出てくると思います。どちらが優れているかではなく、どちらが自分にあっているかが重要になります。エンジニアになるか、作家になるかなど職業を選択するのによく似ています。人間は時代の経過と共に様々なことを選択できるようになっているのを考えると、価値主義の世界は個人の選択の幅が今よりさらにもう一段広がった社会と言えます。

主義思想には “賞味期限” がある

こういう話は「資本」の恩恵を受けている世界の2〜3割の人にはあんまり到来してほしくない社会ですし、そうではない7〜8割の人にはプラスに働く社会だと思います。300年前の身分が重要だった社会では、貴族や武士に生まれた人達にはとても有利な社会でしたし、奴隷や農民に生まれた人達には過酷な社会だったと思います。

総じて社会システムが大きく変わるタイミングは、新たなテクノロジーが誕生した時と重なることが多いです。

活版印刷技術が誕生したことで時間を超えて知識を共有することができるようになり、社会は大きく変わりました。蒸気や電力が誕生したことで人間は肉体をはるかに超えたエネルギーを扱えるようになり、その結果として産業革命がおこり、資本主義社会へとつながっていきます。

資本主義&民主主義の社会は王様が全てを決める封建社会に比べると素晴らしい世界なのは間違いないですが、それでも長く運営していくと様々な問題が露呈してきます。最近の形骸化した仕組みなどは時間の経過とともに制度が社会の実体にそぐわなくなってしまったものだと思います。

そう考えると、人間の考える主義思想は ”賞味期限” があり、新しいテクノロジーの登場と共に必ず古くなることを前提に考えたほうが良さそうです

価値を中心として様々な選択肢がある社会が到来したとしても、その賞味期限は最長で30年が限界だと私は思います。農耕牧畜は数万年、封建社会は数千年、今の私達の世界も200年以上は続いています。ITという新しいテクノロジーの誕生で次のパラダイムに移行してもそれが続く期間は以前よりもずっと短いと考えています。

お金と情報の価値が逆転する『情報経済』

もう少し想像を膨らまして、価値主義から社会がさらに発達するとどう変わっていくかを考えてみます。初期の頃は様々な選択肢が生まれ多様化が進みますが、さらに技術が発達すると世の中の価値が「情報」に集中することが考えられます。

数十年後には「情報」の持つ価値が「お金」の持つ価値を完全に超えてしまい、情報そのものが経済を成立させ始めるような予感がします。今は情報があってもお金が無いと大した事はできませんが、将来はお金があっても情報がなければ何もできないようになるかもしれません。

当然、多くの情報をコントロールできる存在は絶大な影響力を持つようになります。

Facebookがタイムラインの情報を操作して感情伝播の実験をしていることが避難を浴びましたが、これは論文を発表した事で偶然分かったことです。自分がブラウザやアプリを通して見ている情報に誰かの手が加えられていても解らないのが普通ですよね。

さらに、テクノロジーが今の人間の能力をはるかに超え始めるとほとんどのプロセスを人間の手を介さずに可能になってきます。その時に人の数万倍の処理能力があるコンピュータが弾きだした「答え」を疑う人は少なくなっているでしょう。その答えを書き換えられる立場にある存在は、実質的には 価値”そのもの”をコントロールすることができてしまいます。

結局は、お金も情報も仕組みの根幹を握る存在の力が強まってしまうので、それをどのようにコントロールしていくかが社会全体の課題になってくるだろうと思います。

”振り子” のように揺れながらちょっとずつ前進

アワバーで小笠原さんと話をしていた時に、世の中は ”振り子” のようだと表現されていました。私は作用と反作用みたいな表現で考えていましたが、こっちのほうがずっと解りやすいと思いました。

振り子ように社会がある方向に傾くと途中まではスムーズにいくのですが、ある一定のところまで行くと止まり、その逆の方向に向けて動き始めます。端まで行くとまた止まり、逆の方向に振れ始めます。

絶対的権力者がすべてを決める社会に不満がある人が革命を起こし、民主主義や資本主義などの仕組みが整備されました。途中まではうまく回るのですが、その仕組みの問題点が見つかってくると、それを解決するために別のアプローチを考える人が出てきます。

今は情報技術が社会を激的に便利に変えていくフェーズですが、数十年後はその情報技術が中心になった社会の問題点を解決するフェーズに変わっているだろうと予想しています。

こういった振り子のような動きを人間は何千年・何百年・何十年というスパンで繰り返しながら、ちょっとずつ前へ進んでいるんだろうな、とそんなことをふと感じました。

またダラダラ書いてたら長くなってしまったので、ここらへんで終わりにします笑。

 


ロジカルシンキングの弱点を考えてみた:ロジックを超えたロジックの話


ロジカルシンキングについて日頃から思っていた疑問をサクッと書いてみました。Wikipedia先生に聞いてみると、ロジカルシンキング(論理的思考)とは、

一貫していて筋が通っている考え方、あるいは説明の仕方のこと

ビジネス書では、

物事を体系的にとらえて全体像を把握し、内容を論理的にまとめて的確に伝える技術

なんて説明されてたりします(定義は議論があるところですが、ここでは触れません)

現代社会の多くの意思決定において、ロジカルシンキングはとても大事です。例えば、社内で新規事業をする時に担当者がプレゼンする場合や、経営者が投資家に説明する場合などです。

筋が通らない矛盾があれば却下されるでしょうし、大多数が 納得できるようなロジカルな説明ができれば、意思決定はスムーズに進みます。

このロジカルシンキングの弱点は、他人を説得する際には絶大な力を発揮する一方で、物事の成否を見極めるには、それほど役に立たない点だと思います。他人を説得する上では有効だが、自分がうまくいくかを検討する際には頼りにならない、という何とも不思議なツールのように感じます。

「他人も自分も納得できる ≒ 成功の可能性が高い」という一見するとスルーしてしまいそうな組み合わせが、問題をややこしくしてるような気がしていました。

注目したいのは、ロジカルシンキングの説明の中でよく出てくる「体系的」や「全体像を把握」といった箇所です。

人間は「全体像を把握」したり、物事を「正確に認識」したりすることが本当にできるのか?ここらへんがひっかかります。

よくある新規事業を例に考えてみます。

ある新規事業の例で考えてみる

仮に、新規事業を検討している担当者が社内でプレゼンテーションをするとしましょう。海外ではその市場は注目されており、まだ日本では誰も手がけていないビジネスだとします。

担当者は、そのビジネスの可能性を、市場の成長性・海外プレイヤーの成長率・自社が参入した場合の競争優位性などを材料に、経営陣にプレゼンを実施します。経営陣はその説明をもとに自分達でも成功角度を見積もり参入の意思決定を行います。

もし、この時に同じことを検討している会社が100社あったらどうでしょう?

市場は一瞬で競争過剰に陥り値下げ合戦に巻き込まれて充分な利益が出せなくなるでしょう。ただ、今現在に誰がどんな事を考えて何の準備をしているかをリアルタイムで知ることは、世界中を監視できる立場にないと不可能です。この時点で、競争環境を判断する材料が抜け落ちていることになります。

さらに、ロジカルかどうかの ” 判断 ” はその母集団のリテラシーに依存します。例えば、意思決定を行う経営陣の中に「大手企業が来月に参入する」という具体的な情報をキャッチできる立場の人物がいれば、計画を再検討するように言うかもしれません。

つまり、構築できる「ロジック」はその人がかき集めれられる情報の範囲に依存し、それを見て「納得」するかどうかは意思決定を行う母集団の背景知識に依存してしまう、という事になります。

論理的思考の問題点は、人間が自分達が認識できる現実の範囲を「全体像」と捉えてしまう点にあります(実際はそれが「一部」であったとしても)。

ロジックを構築する土台となる材料自体が不正確さを含んでしまっているので、しばしば人間の将来に対する認識はあっさり裏切られてしまいます。

周囲を納得させるロジックを形成するための「思考」と、それがうまく行くかを判断するための「思考」は分けて考える必要がありますが、現状では意思決定においてこの2つがごっちゃになってしまっている点に問題があるような気がしますね。

自分の認識のほうを疑ってみる

自分の過去の意思決定にしても、とてもその時点ではロジカルとは言えないものが多いです。例えば、こんな投資です。

  • (当時)まったく経験が無いにも関わらずグローバル展開を始める
  • (当時)広告主がほとんど存在しないAndroidにフォーカスする

これらはその時点では事例も資料も示せないので「納得」できるロジックを示すことは難しかったのですが、時間の経過と共に当初は認識していなかった事が明らかになっていき、結果として ”後付け” の納得感が形成されていきました。自分がやっている事は変わらないのですが、”ロジカルさ” のほうが後から付いて来たような印象です。

これを経験した時に、日常的に行われている意思決定プロセスには何か欠陥があるんじゃないか?と疑問を感じるようになりました。

それまでは自分の認識をもとに論理的な筋道を作っていましたが、そもそも自分の認識はそんなに信用できるものなのか、というよりも、人間に現実を正しく認識する能力はあるのか、を改めて考えてみるようになりました。

そこで、こんな仮説を立ててみました。

  1. 社会は、人間が現実を正確に認識でき、論理的に説明できることを前提に作られている
  2. しかし、現実の複雑さは人間の理解力や認識能力を常に超えている
  3. そのため、人間の認識は何度も裏切られるが、後付けで合理性を作ることで人間は現実を理解できることにしてきた(そして、②に戻る)

もしこれが正しければ、現段階で得られる情報は不完全であり、自分自身の認識も誤っている可能性を常に考慮に入れた上で、思考する必要があります。

動き出せば、新しい情報が手に入り「認識」が常時アップデートされるはずです。むしろ、限定的な情報や認識しか持ち得ない開始前の段階で、完璧に矛盾の無いロジックを構築できるほうが不自然と言えます。

そのため、”人間の認識には限界があり、そこから作り出される「ロジック」にも限界がある” ということをまず前提とします。そして、将来的に新しい認識が得られるであろうことを考慮に入れた上で、一定の論理的な矛盾や不確実性を敢えて許容しながら、現在のロジックを構築します。

つまり、現在ではなく将来を起点にロジックを作ろうとするので、その時点での ”納得感” はある程度犠牲にする、という考え方です(どれぐらい犠牲にするかは個人差があると思いますが)。

これを『ロジックを超えたロジック』と勝手に呼び、今も頭の隅に置くようにしています。「自分が現実を正しく認識しているとは限らない」という自分への戒めみたいなものです。なんだか無限ループにおちいりそうな話ですね。。。笑

人間の理性の限界を指摘した人達

同じようなことを考えてる人は他にいないか調べてみましたが、やっぱりたくさんいますね。もう何十年も前にフリードリヒ・ハイエクというノーベル賞を受賞した経済学者が『自生的秩序』でこの事を指摘していました。超簡単に言うと、

人間の合理性には限界があり、将来を正確に予想したり計画したりできると思うのは理性の傲慢である

とする考え方です。

これはかつて一部のエリートが社会や経済を正確に設計する事ができるという考え(いわゆる全体主義や計画経済)を痛烈に批判した時に使われました。実は、この考え方は起業家のスピーチにも良く登場します。

例えば、TwitterのCEOが卒業生に向けたスピーチでは下記のように語っています。

人は誰も自分にどんな可能性があるか、社会にどんな影響を与えるかなどと予想することも計画することもできない。物事の意味は、事後に他者が決めるもの。勇敢な選択をして、賭けに出て、とにかくやってみれば、世の中に影響を与えることになる。

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチの『connecting the dots』の話も、同じ事を語っています。

大学時代に先を見て『点を繋げる』ということは不可能でした。しかし、10年後に振り返ってみると、実ははっきりとしているのです。繰り返します。先を見て『点を繋げる』ことはできない。できるのは、過去を振り返って『点を繋げる』ことだけなんです。だから将来、その点が繋がることを信じなくてはならない。

ロジカル過ぎると選択肢が狭まるかも

以前に書いたブログにも通じる話ですが、ビジネスではなく、人生の選択をロジックに頼ってしまうと、選択肢を狭めてしまう危険性があるなーとよく思います。

論理的思考は手元にある過去の情報を組み合わせて筋道を立てる作業と言えます。これまで見てきたように、正確な認識がそもそも難しい現在や未来に対してはうまく機能しない場合が多いです。

現在の選択も論理に頼ってしまえば、過去の認識が作り出したパターンをなぞるだけの将来になってしまいかねません。

「認識」とは、自分が今いる階数のようなものだといつも感じています。2階から見える景色を前提にあれこれ議論するよりも、早く50階に行くエレベーターを見つけたほうが良さそうです。50階であれば2階では見えなかった様々な景色がきっと見られるでしょうし、そこからは全く別の答えが導き出せる可能性があります。2階から見たら「海」だと思い込んでいたものは、50階から見たらただの「湖」であることがわかるかもしれません。

ただ、このエレベーターがどこにあるかは誰も教えてくれないし、探してみないとなかなか見つからない、そんなモノのように感じています。

個人的には、限られた認識をもとにロジックの緻密さを詰めるよりも、認識を広げることに最大限の努力をしたほうが近道だったことが多い気がします

実は「あべこべ」なことが多い現実

理性の限界を認識した上で意思決定するとなると難しく聞こえますが、世の中を眺めてみると「あべこべ」なことが多いです。

例えば、スタートアップへの投資を行っている『Ycombinator』創業者ポール・グレアムは自著で、「どのスタートアップが大成功するかなんて誰にもわからない」と言い放ち、一定の基準を超えたスタートアップには等しく投資を実行しています。その中から、『Airbnb』や『Dropbox』のような1兆円規模のメガベンチャーを輩出します。

普通、自分がうまくいくと確証が得られたからこそ投資をしますよね。先見の明に自信がある賢い人ならなおさらです。しかし、グレアムは「将来を正確に予想することは誰にもできない」という前提の上で、自分も例外扱いしませんでした。

つまり、グレアムは自分も認識できない可能性に投資することでリターンを得ている人と言えます。

一方で、長年の勘と経験をもとに、事業計画の妥当性と企業の成長性を自分達が納得いくまで数ヶ月も議論して ”ロジカル” に投資決定をする多くの人が、グレアムのリターンに届かないのは、また何とも「あべこべ」な話です。

ITや株式投資などの物理的な制約を受けにくいビジネスは上位1%が全体の99%の利益を稼ぎだす非対称性を持つ傾向が強いです。グレアムはここに潜む矛盾をうまく突いています。まるで他人のロジックのさらに向こう側にロジックを構築しているようにも見えますね。

見渡せば、一貫して論理的に機能しているように見える社会も、様々な矛盾を抱えながら回っている事が本当に多いなと感じます。

ロジカルシンキングは説得ツールと割り切る

現在の意思決定プロセスにおける問題は、他人を納得させるための技術が、いつの間にか意思決定をする上での「判断軸」としての役割を期待されてしまった事にあると思います。

ロジカルシンキングは他人を説得するための手段としては非常に優れたツールと言えますが、物事の成否を見極めたり将来の可能性を探るための手段としては少々荷が重いなと私は感じます。

ふと、科学がまだ充分に発達していなかった頃は、人間は今よりも「世界は解らないことだらけである」ということを深く認識していたのではないかと思いました。文明の発達で、人類が世の中を「理解できる場所」にしていった結果、論理を拠り所に物事を考えるようになっていき、理解できないものや不確実なものを意識の外に追いやっていくようになったのだと勝手に想像してしまいました。

私は自分の認識がしばしば裏切られるのを経験するたびに、「まだまだ現実というのは複雑でわからんもんだな〜」と感じます。今後はIoTや人工知能などのテクノロジーの発達で、人間が現実を “正確に” 認識できる日が来るのかもしれませんね。

人が、自分はなぜ今のような人生を歩んでいるのかと考えたときに、単なる偶然の連続と捉えるのか、自分の「認識」にその要因を求めるかは、最終的には個人差があるような気がします。

これまでの人生がうまくいってると考えてる場合は認識を疑う必要はないですし、あんまりうまくいってないなーと感じる場合は認識を疑ってみたりするかもしれません。

認識というのは、客観的に見つめようと努力しても主観的な感覚とは切り離せない、なかなか難しい問題だなーとしみじみ感じますね。

 

 


ロボットと所得格差と共有経済(シェアリングエコノミー)- 民間が作る新しいセーフティーネットの可能性


ブログを毎月書くのは難しいですね、毎日なんて想像もできません。

半年前にこんなブログを書きましたが、2014年になって社会構造が激的に変わってきてるなーと実感してます。もう少し踏み込んで書いてみたいと思います。

ロボットの普及で労働が減少する?

ここ1年でよく話題に出るのがロボティクスの進歩です。ドローンなどに代表されるロボットが本格的に社会に普及すると人間は仕事を奪われてしまうんじゃない?とそんな不安がアメリカを中心に巻き起こっています。東京ではまだ遠い未来感が満載ですが、GoogleやAmazonがいるアメリカではまんざらでも無い雰囲気です。

Googleは最近ではロボット開発ベンチャーやハードウェア系の企業を買収しまくっており、中には「Boston Dynamics」や「Skybox」のような軍事利用が可能な企業も手中におさめ、ただのネット企業とは言えない領域に足を突っ込んできています。

Boston Dynamics社の四足ロボット(YouTube公式アカウントより)

Boston Dynamics社の四足ロボット(YouTube公式アカウントより)

Amazon創業者は倉庫で1日24キロも社員を歩かせる、人をまるでロボットのように扱う経営者として欧州で酷評されていましたが、彼らが本当に経営努力によってロボットによる自動化を進めていくと倉庫で働く人達は職を失ってしまうかもしれません。

これらは非常に難しい問題で、ロボットのおかげ経営の効率化が計られ労働環境も改善される一方で、人力で行われる多くの仕事が不要になってしまいます。産業革命時にラッダイト運動なんてものがありましたが、これの現代版もあり得る展開になってきたようです。

テクノロジーの進歩が格差の引き金に

ロボティクスの発達とセットで、今後テクノロジーの進歩により所得格差が広がり、格差が固定化されるのでは?という議論も出ています。確かにロボットによる自動化がどんどん進めば、一部の仕組みを作る特殊技能を持つ人を除いて、単純作業の仕事はどんどんシステムに代替されていくのは確実な流れと言えます

アメリカでは、Googleの社員通勤専用のバスに対して住民が抗議活動がおこってましたが、これはIT企業で働く裕福なエンジニアの移住にともなって現地の物価や土地の値段が急騰したことに対する不満によるものでした。

消費者が便利なサービスに流れていくのは当然ですが、機械に仕事を奪われてしまう側には死活問題です。こういったテクノロジーの発達によって短期的に所得が減少すると予想されているのは、先進国のミドルクラスと言われる層です。

1988年から2008年までの世界の収入増加率(BUSINESS INSIDERより引用)

上記グラフは1988年から2008年までの所得層ごとの収入増加率をまとめたものです。一部の富裕層の所得増加が全体のGDPを引き上げているため豊かになっていると思われがちですが、むしろ先進国の平均的な家庭では所得は増えていないどころか、減ってるようです。リーマン・ショック後の数字はこのグラフに含まれていないので、現在はミドルクラスの所得増加率はさらに凹んでいるかもしれません。

そして、税金が貧困層にだけ使われていて自分達に使われていないということに不満を持った富裕層が独立して新たな自治体を運営する動きも話題になってます。当然、富裕層が消えた自治体の税収は激減し、そこから捻出される教育予算も減らされてしまうでしょう。


ちょっと前にこんなツイートをしましたが、本人の努力次第で拡大する格差は歓迎すべきですが、次世代にまでその格差が引き継がれるとなると、これは深刻な問題です。特に教育は個人の人生を決定する重要な要因で、子供が受ける「教育の質」が生まれた家庭の所得に依存してくるとますます「格差の固定化」につながりやすくなるでしょう。

この流れが加速すると、どの所得層に生まれたかで個人の人生がほぼ決まってしまい、所得(お金)は形を変えた『身分』に成りかねません(既にそれに近いですが…)。個々人の話としては『生まれた環境を嘆かずに最善の努力をすべし』という以上の答えはきっとありませんが、客観的な「現象」として把握しておきがなら見て見ぬふりをすることはまた別の話です。

社会的に成功した人物が「人生がうまくいく教訓」を他の人に語るときに、私はよく複雑な気持ちに駆られます。素晴らしい才能と勇気に感動する一方で、それらの話には自分が生まれた環境などの『外部要因』は考慮に入れられていないことが多いためです。世界中の成功した経営者やビジネスマンの生い立ちを聞いても、かなり似た教育水準・所得水準で育っていたことは偶然ではないのでしょうね。

労働が減少しても生活水準を下げないためには?

こういう話題が続くと『技術は進歩しないほうが良いんじゃない?』と思ってしまいますが、進化の流れは性質上「不可逆」ですのでなかなか難しいですよね、人間は便利なものを見つけると手放せない生き物ですから。

では、テクノロジーの進化で労働が一時的に減少するとしたら、どういう対策があるでしょうか?

考えられる対策のひとつに、労働が減少しても生活レベルが下がらない社会インフラを構築するという手があります具体的には「所得(お金)の必要性を、労働の減少と比例して引き下げる」というアプローチです。

仕事が機械に奪われても、お金を稼ぐ必要性も減らせばプラスマイナス=ゼロです。かつ、生活レベルも下げなくて済むのなら、これまで労働に当てていた時間を子供の教育などに使う事もできます。

鍵は、”ハイパーコネクティビティ(Hyper-connectivity)”にあると考えています。

ハイパーコネクティビティとは人と人、人とモノ、モノとモノがネットを通して完全に繋がった状態を指します。Intertnet of Things(モノのインターネット化)とともに社会はこの状態に近づきつつあると言われています。

完全にオンライン上であらゆる情報・人・物が共有されているこの状態を活用すれば、これらの労働減少や格差問題は和らげられる可能性があります。具体的には共通経済(シェアリングエコノミー)を活用します。

共有経済(シェアリングエコノミー)の活用

もともと現代社会は「情報の非対称」を前提に作られています。情報が偏って存在し、それぞれがリアルタイムで完全に情報共有をできないことを前提に、代理人や仲介者を「ハブ」として全体を機能させてきました。必然的に ”力” は中央のハブに集まるようになります。現代で大きな影響力を持つ組織を眺めても、このハブの役割を担ってきたことがわかりますね(政府・国会・商社・銀行・広告代理店・卸など)。

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ただ、コネクティビティがさらに進むと、オンライン上で人と情報とモノが「直接」かつ「常に」つながっている状態が実現します。そうすると中央にハブが存在する必然性はなくなり、全体が分散したネットワークに変わっていくことが予想されます

インターネットは「距離的な制約」と「時間的な制約」をふっ飛ばして、情報を瞬時に伝達するテクノロジーではあるので、むしろネット本来の力がここに来てようやく発揮されてきたと言ったほうが適切かもしれません。

共有経済(シェアリングエコノミー)は個人が余ったリソースを直接的に共有しあう事で、コストを大幅に削減できるメリットがありますネットが生活のあらゆる所に浸透してきたおかげで、共有できる範囲が地球全体に広がり、巨大な経済として機能しはじめています。

AirbnbやZipcarに見る共有経済の成功例

IT業界の人には説明不要ですが、共有経済の成功例としてはAirbnb、Zipcarなどが有名です。

Airbnbは個人の住居の空きスペースを有効活用したい人と、安価に旅先の宿を確保したい人をつなげるサービスです。いわば個人間で「空間」を共有するサービスです。2008年に設立された企業ですが、既に企業価値は1兆円に近づいており、世界で1000万人以上が利用する巨大サービスになっています。

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もうひとつカーシェアリングで有名なZipcarです。車を所有するのではなく、使いたい時だけメンバーで使いまわします。共同所有・共同利用の概念です。車の維持費やガソリン代などはバカにならないコストです。車も一家に一台所有する “モノ” から使いたいときだけ利用する “サービス” に移っていくのでしょう。この会社は2011年にナスダックに上場しました。

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昔から再利用・共同利用などは一般的でしたが、ネットの普及でリアルタイムかつ大規模にこういった事がおこなえるようになったのは大きな進歩ですね。

発展途上国の駐在員の話

昔、途上国に駐在員として滞在したことのある人から興味深い話を聞きました。日本の数分の一のGDPである発展途上国のコミュニティの生活を見て驚いたことがあったそうです。それは労働時間が日本人よりもずっと少ないにもかかわらず、生活水準は日本人よりも高い点です。

理由は簡単で、町全体でモノやリソースをまるで家族のように共有していたため、個々人の労働所得が低くても生活レベルを高く保っていられたようです。物は貸したり上げたり交換したり、リソースはお互いに共有するのが普通になっており、それはまるで町全体が市場経済とは切り離された「お金が介在しない独自の経済」を成り立たせていたようなものです

その結果、名目上のGDPでの ”豊かさ” と、実態としての ”豊かさ” に大きな乖離が発生していたのだと思われます。数字には見えない ”貧しさ” が目立ってきた先進国とは真逆の現象ですね。

都市部ではこういったことは難しいですが、一方、スマホの本格的な普及でオンライン上では知人同士がLINEやFacebookを通して常につながっている状態にあります。かつての相互補助の仕組みは別の形で応用できるのでは?と思えてきます。

社会のセーフティーネットとしての役割

話題のピケティの『21世紀の資本論』ではグローバル累進課税を課して格差拡大を抑えるようなアイディアが出ていましたが、もうそろそろ「生活」と「お金」を分けて考えてみてもいいんじゃないかな、と個人的には思っています。

人類全体の歴史から考えると、「生活をすること」と「お金を稼ぐこと」がほぼイコールに結びついたのは産業革命以降の直近300年ほどの話で、ちょうど産業の中心が農業から工業に移るタイミングで定着したスタイルです。今また産業の中心が情報通信などの第四次産業に移行しつつあり、かつての「あたりまえ」は大きく変化するタイミングにあります。

そこで考え方を変えて、テクノロジーの進歩によって労働が減少し所得格差が拡大するのであれば、逆にそのテクノロジーを格差縮小のための社会的セーフティーネットの構築に役立て、労働所得(お金)への依存度を下げていく手があります。これらを変化に敏感な市場経済で実施することで、格差拡大作用と格差縮小作用のタイムラグを最小限に抑えます。

これはいわば行政が行ってきた「富の再分配」を、市場経済の中で機能させてしまおうというアプローチです。現パラダイムの成功事例である「行政」が、新パラダイムに移りつつあるこのタイミングで「富の公平な再分配」に苦戦するのは、当然と言えば当然なのかもしれません。

格差問題とセットでベーシックインカムの議論がありますが、税金からそのコストを負担しようと思うと、負担が増える富裕層の反発にあう事が予測されます。また財源を税金に依存する公共サービスは改善のモチベーションが民間に比べて低いという弱点があります。

反対に、財源を営業利益によってまかない、国境にも縛られない民間企業はビジネスとして独力で持続可能なインフラを構築することもできます。競争に晒され続けるため改善を続けなければいけないという ”競争原理” も働きます。これに行政が持つ「公益性」をうまく融合させられれば、民間でも優れた社会インフラを構築できるとは思いますね。

そのためには、①資本主義の持つ欲望のエネルギー、②行政の持つ公益性、③市場競争による形骸化抑止、④営業利益による持続可能性、この4つの要因にさらに⑤ IT の持つコストメリット&スケーラビリティが必須要因になるでしょう。

その先には、ポスト資本主義社会のヒントがありそうですが、それはまた別の機会にまとめてみたいと思います。

理論と実践のバランス

SPIKE(スパイク)というプロジェクトを作った目的は「テクノロジーでお金の在り方を変え、地球上のあらゆる “価値” をリアルタイムで交換できるようにする」ことであると同時に、政治では実現できないセーフティーネットを民間の手によって構築するという試みでもあります。

考えられるアプローチは無数にありますが、物やリソースを個人間で共有しあうことで生活に必要なコストをどこまで下げられるのかを追求したいと思います。超単純化すれば、全体の労働収入が3分の2になっても、生活に必要なコストを半分に抑えられればむしろ生活水準は上がります

例えば、車は購入せずにカーシェアリングで必要な時にだけ借りて、不要なものは知人間で売ったり貸したり交換し、めったに使わない高価な物は共同で購入し共同で所有。スペースが余ってるなら誰かに貸し出すか、シェアハウスにする。時間やリソースが余ってるなら誰かの仕事を手伝って、代わりに飯でもおごってもらうなんてのもありです。

こうやって見ていくと、有効活用されていない「価値」は身の回りに溢れていますね。

敢えてサービスを知人間に限定したのは、「労働減少のリスク」を「人のつながり」によってヘッジしたかったからです。言い換えれば、「人のつながり」を失っていなければ、労働が減少しても個人がどうにか生きていけるようにしたかったからです。昔はネットは人間関係を希薄にすると言われていましたが、これからはむしろ「人のつながり」こそが文字通り ”個人の資産” に変わると思っています。本質を突き詰めれば人間は結局そこに辿り着く気がします。

新しい商品の需要を喚起し、大量生産と大量消費を繰り返すライフスタイルはある意味では「資本」の都合な側面が少くなくありません。利益と株価を右肩上がりに伸ばし続け、経済全体を成長させ続けることが金融資本主義では必須なためです。そこで発生する ”エネルギー” が現代社会の基盤を作ってくれましたが、最近は壁にぶち当たっている感があるのも事実です。

突き詰めれば、製品や市場と同様に、経済システムそのものにも「競争」や「多様性」があったほうがずっと自然です。評価経済や共有経済のように、複数の異なるルールの「経済」が並列で存在し、個人がどの経済システムをメインに生きていくかを自由に選択できるようになれば、構造的に格差は固定化されにくくなります(不公平な経済システムからは人がいなくなるため)。

政治や産業などのあらゆる領域が、競争を活用した「抑制と均衡」によって健全性を担保してきましたが、そろそろ「経済」に関しても考えたほうが良い時期に差し掛かっているのかもしれません。

ただ、人と機械と経済の関係は議論が分かれるところで、誰も結論は出せていません(というか出せません)。現実を理解するには理論をこねくり回すよりも「実践」が近道ですので、今回は経済のもうひとつの可能性を探ってみようと思います。地球全体で機能する共有経済はまだフロンティアで、色々な工夫の余地がありそうですね。

 


常に「アウェイ」な環境に身を置くことの大切さ、「強み」に閉じ込められる怖さ


テック系とはまったく関係ないですが、いつも感じていた事が言葉として腹に落ちたのでブログに書いときます。少し妙に感じるかもしれませんが、「アウェイ」の環境に置かれた時が会社も人も一番成長するような気がしました。ここでの「アウェイ」とは、知らないことだらけの不慣れで不利で「場違いな」環境のことを指してます。通常、経営は自分や自社が得意な領域を見定めて、その資源を有効活用しながら横展開をしていくのが最も効率的であり会社を成長させるコツみたいな事がよく言われています。これは短期的にはそのとおりだとは思います。

しかし、自社の得意な領域(得意だと思っている領域)だけでビジネスをやっていると、頭を使わなくても楽に利益が出せます。そこで働く人も新しい知識や能力を身につけなくても蓄積してきた資産の上に乗っているだけでうまく仕事を回せ(ているような気になり)ます。ただ1〜2年の短期的なスパンではなく、3年以上の中期的なスパンで考えると、自分達の得意な「ホーム」に居続けることはかなりの機会損失な気がしてならないです。

自身が経営している会社で言えば、経営スタイルや考え方を真逆にしてみたり、まったくシナジーが無い領域でも必要であれば進出したりしたことが何度かあります(今もですが)。3年〜5年前を振り返ってみると、当時自分が「強み」だと思っていたことは視野が狭いゆえの思い込みに過ぎない事が本当に多かったです。でもそれは「アウェイ」の環境に飛び出してみて初めて気がついた事ばかりでした。それらを「強み」としたままで来てしまったら、新しい可能性を探して色々な事にチャレンジをせずにその場に留まってしまっただろうと恐怖を感じました。小さな池の中をうまく泳げる事の優越感には浸れましたが、新しい能力や知見を身につけることは少なかったと思います。逆に言えば、3年後の自分は今の自分に対してもまったく同じことを感じるだろうと思います。総じて振り返ってみれば、超「アウェイ」な空間で自分の「強み」がまったく使えない環境こそが、最も多くの事を習得できる環境でした。

この問題は、なぜ人は年齢を重ねるごとに成長速度が落ちていくのかにも関係しているような気がします。人は知らない事よりも知っている事のほうが多いと誤解し始めると、新しい事を吸収しなくなっていく傾向があるなーと感じます。幼児にとっては世界は未知だらけで、それが故に、ものすごい速度で情報を吸収します。成人になると、自分の強み(と認識していること)や個性(と思い込んでいること)に合わせて、自分に合った居場所を見つけてそこで過ごすようになり、数年も経てばその世界にどんな人がいて、どんな仕組みで成り立っているかも分かってしまいます。ここでは新しいことを学ぶ必要性は無いでしょうね。

つまり人間の「成長が止まる時」というのは、これから得られる新しい知見が、これまで蓄積してきた知見よりも「少ない」と勘違いしてしまった時なのではないかと。「経営というのはこういうもの」で、「ビジネスというのはこういうもの」で、「人生というのはこういうもの」、みたいな数々の認識(思い込み)が出来上がってしまい、その自分の思い込みの中から出られなくなり、新しい可能性を追わなくなる状態が「成長が止まる」時なんだろうなと感じました。実際はそれらが「無限」通りの可能性の豆粒のような1例でしかなくても、こびりついた認識を新たに書き換えるにはまた別の経験が必要になるでしょう。

異常な速度でステージを駆け上がっていく人達を見ていてもこれは当てはまる気がします。ちょうどソフトバンクがスプリントを買収した後に、T-mobileも買収しようとUSでプレゼンしているニュースが出ていました。よく考えてみたらソフトバンクって2006年まで携帯キャリアですら無かったんですよね(笑)。そこから7年で絶対に無理だと思われていた元国営のドコモの営業利益が射程圏に見えてくると、今度は米国キャリアを買収してさっさと別の「勝負場」に向かってしまいました。周囲の認識の斜め上を行き、もう日本の通信キャリアとかまるで眼中にないような動き方です。意識的かどうかは謎ですが、あえて「アウェイ」な状況に飛び込むことで個人も会社も強制的にストレッチして成長してきたんだろうな、とこれまでのソフトバンクと孫さんの急成長が妙に納得できた一件でした。

何も考えずに動いていると自分の勝手知ったる市場や環境の中だけで動いてしまいがちですが、これに閉じ込められた時の恐怖を想像すると(実際は恐怖すら感じられなくなってしまうことへの恐怖だけど)、「アウェイ」の不安感がだいぶ和らぐような気がします。まだまだ「アウェイ」な環境にいたいと思いましたね。

 


市場での競争相手こそが最強の「味方」かもしれない件について


雪が半端なくて帰宅できなくなったのでオフィスでブログを書いています。

数行のコードで決済機能を導入できる「Yahoo!ウォレットFastPay」

Yahoo!ジャパンやソフトバンク孫さんのように資金力がありながらリスクが取れる企業や経営者の存在は本当にありがたいし、こういうリスクテイカーな人達が市場に及ぼす恩恵は計り知れませんね(この「未定」がもし「無料」じゃなかったら少し残念です)。

以前から感じていたのは、何か大きなビジョンを達成したいと思った時に、最も強力な「味方」になってくれる人達は、実は資本主義のルール上で「競合」と定義されている人達なんじゃないかな?という点です。もし利益で世界一になるのがその企業の最終目標であれば、これは当然おかしな話です。ただ、必ずしもすべての企業がそうとは限らない場合があります。

グラミン銀行の例を見て面白いなと感じたのは、非営利としては成果が出せなかった農村の貧困撲滅活動を、マイクロファイナンスとして利益の出る「ビジネス」として成り立たせ、そのモデルを参考にして世界中の営利法人が参入していった結果、貧困撲滅が実現に近づいたという点です。ビジネスであれば同じ事をする人は「競合」のはずなんですが、このケースだと完全にビジョンを実現する「味方」に変わっています。それはグラミン銀行が「貧困の無い世界を創る」という明確な使命を持ち、これが唯一の存在意義だからなんでしょうね。

どれだけ叫んでもなかなか改善されない社会の問題が、ビジネスとして捉え直すことで、多くの「実質的な協力者(=形式的な競争者)」が得られるこれはひょっとすると色々な形に応用できそうだなと感じていました。

利益を中心に回る資本主義社会では、「確実に儲かる収益機会」か「足場を失う潜在的リスク」に対峙した時に企業が発するエネルギーは凄まじいものがあります。もし起業家がエゴよりもビジョンの実現を優先できるのなら、この資本主義の特性と爆発的なエネルギーを活用して、凄まじいレバレッジをかけながら社会の課題を解決しまくれるのでは?と思いました競争の力学がわかれば、実際は自社以外の世界中のリソースを自由に活用できるということですから、クラウドソーシングの応用系のような気がしますね。クラウドソーシングは不特定多数の人に業務を委託することを指しますが、課題の解決に向けた「協力(競争)」を市場に「委託」してるようなイメージです。

既存の仕組みを再構築するときに最も危険なのは実は社会との摩擦だと思います。影響範囲が広く深いほど自社単独でやろうとするとまず吹き飛ぶ可能性が高い。社会的信用のある大資本を呼び込み社会全体のトレンドにしてしまうのが、実はビジョンを実現する上では一番”勝率”が高いような気がします。この流れなら、2年後に日本では「え、今どき決済手数料ってかかるものなの?」っていう認識がしっかりと「当たり前」になってる気がしますね。

ただ、まだ日本だけなので、これを世界中でモメンタムに変えて「当たり前」にまで昇華させるのが、「SPIKE」の使命だと思っています。さらにその先も。超競争が前提のグローバル資本主義は世知辛いように見えて、「実現したい世界」が具体的にある人にとっては強力なツールになってくれるかもしれません大きな可能性は感じますが、ここらへんはまだ自分でもブラックボックスなことが多いので、世界中で色々試してみて何か分かったらまたこのブログにまとめようかと思います。

経済の「もうひとつの側面」が覗けると思うと個人的にはちょっとワクワクしますね。

ブログを書き終えたら雪が止んでいました。


The next ten years of the world in the era of globalization and the Internet: a period in which every boundary will be reexamined


Rather than writing about the market and the industry at the level of specifics, I have tried to take a more probing, macroscopic point of view and assemble my thoughts on what it is that has recently been giving me an uneasy feeling. At the start of 2013, I had a sense – it was almost a conviction – that there were changes under way throughout the world that were far wider in scope and far more momentous than I had anticipated. Perhaps I only feel that way because my perspective has changed as a result of seeing various things. I didn’t have an opportunity to organize my ideas in writing before, but over the New Year’s holidays I had some time to put my thoughts together. These are entirely my personal views.

* A startup with a staff of 50 supporting a user base of 400 million

Right at the end of last year, an article was published about WhatsApp, a smartphone app for free phone calls and messaging launched in the US in 2011. WhatsApp is similar to the LINE messaging service, which is popular in Japan. The number of active WhatsApp users worldwide in that month was said to be greater than 400 million, but what is astonishing is that the company operates with a staff of just 50. The world’s Internet population is 2.7 billion, so it works out that one in seven Internet users is using WhatsApp. It is not possible to make a direct comparison, but nevertheless, it is a shock to consider that telecoms in various countries provide a telephone service for tens of millions of customers, but employ tens of thousands of people to run their businesses. The worldwide popularity of smartphones and the development of an effective, global distribution network for apps mean that a service can now be provided to a worldwide user base by a company with a surprisingly small staff. One could say that there is now an environment in which a company can expand on a scale and at a speed which bears no relation to the conventional tenets of business.

* From multinational companies to nationless companies

The following comments relate just to the field of smartphones, but since a company can, like WhatsApp, conduct its entire business virtually ignoring national boundaries, it is no longer possible to say which country a company operates from. Manufacturers, consumer electronics companies, restaurant chains, and others have localized and exported their products around the world, earning the title of “multinational company.” However, while smartphone and app usage has become widespread and a user anywhere in the world can access a service in an instant, it can not be said that the service is based in any particular country. Rather, companies are active in the entire borderless domain of “online,” and it is no longer very meaningful to ask “In which country is the company based?” With the spread of smartphones, perhaps one could say that Internet companies, rather than becoming internationalized, are becoming nationless. More than half of the revenue of the company I operate is generated in countries outside Japan, where the head office is located, and one could not really say now that it is a Japan-based company. Because resources move about freely online, it is difficult to identify the countries where economic activity is occurring.

Conventionally, economies have been conceived of in terms of nations, but now, the notion of an economy no longer fits within the framework of nations, and is beginning to become established as an independent concept. It is analogous to when computer operating systems evolved from running on a single computer to being a huge platform used across numerous computers.

* The paradox of globalization

Globalization was originally proposed as a way for developed countries to seek additional growth opportunities abroad, after it became difficult to achieve economic growth domestically. It was premised on international competition and the pursuit of ever-increasing economic growth. Historically speaking, it’s nothing new. It has been a reliable strategy that can be traced back to the age of the European voyages of discovery, beginning in the 15th century. In Japan too, there are many fields where relatively few products and services are produced domestically, and work is going offshore as a result of the search for cheap labor. Indeed, I myself feel a sense of alarm at the prospect that the nation of Japan might be regarded as dispensable in the future.

However, I have lately come to feel that there is a great paradox here.

Actually, when a nation exports its industries with the aim of achieving steady economic growth and the private sector begins to operate internationally, there tends to be less reason, in fact, for the nation itself to exist as a unit. As someone who is running a business, something that I feel strongly is that workers in every country have the same motivation: they seek a better life for themselves and their families, and an equitable distribution of opportunities. While diplomatic relations between countries can sometimes be strained, at the local level, that sort of tension is rare. The values of people around the world who use an iPhone or a Galaxy, play Candy Crush, and wear the same brands of clothing have converged. The younger the age group you look at, the more pronounced this trend is. Needless to say, the national context has a profound effect on language and culture, but its influence on daily life i.e., economic activity, is steadily declining. I feel it is ironic that, as a result of nations around the world exporting their industries in search of greater economic growth, people come to live their lives without a consciousness of national context.

* Enterprises that build social infrastructure

Meanwhile, flowing in precisely the opposite direction, amid globalization and the spread of the Internet, the services provided by private companies lead to the development of social infrastructure, and in some cases, the companies take on some of the characteristics of public utilities. What I mean by a public utility is an enterprise operated by the government and funded by taxes, which invests in social infrastructure needed by everyone, such as roads, water supply, and electricity.

A prime example of a company that has developed social infrastructure is Google. Wherever the Internet is available, using Google, anyone can access information stored across the entire globe and fetch whatever they want to look at, free of charge. Before Internet search existed, libraries served a similar function, but these are typically funded by taxpayer dollars. Google is, of course, a private company, but the search engine’s operating costs are covered by the fees paid by advertisers. Occasionally, someone on a Web forum will refer to these advertising fees as a “Google tax,” but I don’t think that is a particularly apt term.

Another example is Facebook. With 1.1 billion registered users worldwide, Facebook has about 40% of all Internet users signed up to its service. In terms of scale, it is comparable to the population of India. In terms of function, it is similar to the family register and resident registration systems administered by the government. The proof of a person’s existence in the world is provided, not by a public institution, but by that person’s connections. Recently, I have been contacting people by searching Facebook for the name on their business card. I don’t write to the email address on business cards much anymore.

This trend can also be seen in domains outside of the Internet. Tesla Motors, run by PayPal founder Elon Musk, is developing electric vehicles with reduced carbon dioxide emissions. Musk also runs SpaceX, a private-sector company which develops rockets for space exploration, and can now make rockets for one-tenth of what they cost previously. From the start, the development of space exploration vehicles and the like has been a domain for government agencies like NASA to invest in, and it has been too difficult an undertaking for private companies to tackle on their own. But now we have reached the point where it is feasible for a venture firm to take on such projects and run them as businesses.

Looking at these examples, it can be seen that, in terms of offering services for the benefit of all the people, there is no longer any difference between private companies and the government or the nation. In terms of function, one could say that enterprises are getting to the stage where they will be in competition with the nation. And because the services offered by a company can expand beyond national borders, such a company can even provide something that is needed by humanity as a whole, rather than just the people of one nation. In the future, we can expect that the division of roles between the private sector and the nation will become increasingly blurred.

* Social problems also expand beyond national borders

Economies are interconnected across the world, but now, even social problems are beginning to spread beyond national borders. Political and religious conflicts are inevitable, but all nations are now facing challenges that cannot be resolved by a single nation on its own.

The financial crisis that started with the collapse of Lehman Brothers, and other financial crises such as the ones in Greece and in Cyprus are all still fresh in people’s minds. The effect of a financial crisis that occurs in one country is felt immediately around the world, as nations are susceptible to damage from a financial chain reaction. Because the economies of all countries are interdependent, they share the same destiny, as they are all elements of a global economic system. As returns have risen sharply, so have the risks. In addition, various issues such as global warming arising from our reliance on fossil fuels and poverty caused by population growth can no longer be solved by each country individually.

The international organizations that were set up after World War II, based on the power relationships between countries, did not implement fundamental solutions to problems, but instead had their resources diverted to the coordination of the interests and views of the countries involved, and they seem ill-suited to dealing with complex and rapidly changing problems. These problems are no doubt extremely difficult to solve within the framework of the conflicts of interest and competition between nations. Finding solutions to these problems is not a matter of working on the quality or scope of the solutions. Rather, I feel that what is needed is a change in approach to the problems.

* Globalization for the solution of problems for the entire human race

I think that in finding solutions to these problems, the entities that are going to be important are the private companies and individuals who can transcend national interests in pursuing their activities. As I mentioned above, it is actually private entrepreneurs who are at the leading edge in working on the energy problem, the reduction of CO2 emissions, and space development.

It can be said that, up to now, globalization has largely been about representing the interests of a nation and being part of a national strategy for achieving economic growth. As in the world of finance, it can be a zero-sum game where there are winners and losers. It is a fact that, in developing countries, there are many voices raised in opposition to globalization on the basis that the rules governing globalization favor developed countries.

Really, if the interests of one’s own country are placed first, it is going to be difficult to achieve this sort of multi-nation solution. I believe that, in the future, what is going to be required of companies and individuals is not the kind of globalization where they act on behalf of a nation in competing with the rest of the world; rather, it will be a form of globalization where the focus is on the Earth, so that solutions may be found for the problems that are common to people around the world.

* The Internet: starting to be more than a “useful tool”

The relationship between society and the Internet is analogous to the relationship between nations and the economy under globalization. When the dot-com bubble arrived in the second half of the 1990s, there was speculation that the Internet would alter the very structure of society, but with the collapse of the bubble, disillusion became widespread, and in the following ten years, the Internet was never more than a “tool” to be used in the service of society as it existed. It is my personal view that this situation has changed significantly since around 2013. My feeling is that the Internet is now more than just a tool to be used in the service of society, and that it is, in fact, beginning to redefine the very structure of society from its foundations.

For example, the leaking of information and hacking, which until now have been no more than issues of data security, have, with the advent of groups like WikiLeaks and Anonymous, become matters of great concern at the level of national security. It was the United States, which should have been the biggest beneficiary of IT, which suffered the greatest losses at the hands of these groups. Another example is Bitcoin. For centuries, governments have had sole authority to issue currency, but this is now starting to be challenged. There are concerns about how Bitcoin is going to affect the foundations of the world economy, and there are examples of governments restricting it, as in China. In addition to the cases mentioned above, there are countless other cases where industries have gone from being made more efficient to having their industrial structure transformed, so that existing players who were profiting from that industry have gotten into a difficult situation.

I think that these cases show that the effects of Internet technology are gradually being felt, not just at the surface level of society, but now at a much deeper level. The much-trumpeted dream of an Internet that would “reshape the systems of society” is gradually coming to pass, albeit 15 years late.

* Technology starts to redraw boundaries

1) The dividing line between outsourcing and doing the job in-house

The concept of work has changed dramatically in the past few years. The increase in telecommuting was at first seen as simply a resurgence of the young, job-hopping part-time worker trend, but in fact, in the context of the full-blown spread of the Internet, it has the feel of something quite different this time. It is very likely that it is not a manifestation of a life phase that people go through, but rather the result of changes in industrial structure.

If a company utilizes crowdsourced labor, then, even though it may not have a large workforce, it can access resources across the world in real time and in just the amounts required, making it possible to deal with an enormous amount of work while remaining small. In projects like app development, it is not at all unusual for a company which has a just a handful of staff to involve more than 100 people in development. The world leader in the supply of remote workers, oDesk, has nearly six million freelancers who complete work projects online.

When outsourcing is embraced, so that work becomes decentralized and is migrated to the cloud, it becomes extremely difficult to distinguish between what is done in-house and what is done externally. Because a huge number of people may become involved in a single project, that group of people can be thought of as a consortium of stakeholders. The customary notion that individuals each have a single job has changed, and suitably skilled people may become involved in multiple projects concurrently, so that even the distinction between one company and another may become blurred.

2) The dividing line between oneself and others

One respect in which the Internet is far superior to any other technology is “collective knowledge.” Search engines like Google make it possible for people to instantly access information from around the world. In Japan, via sites like Nanapi, one can pick up knowledge and skills that other people have gained over a period of months. When everyone can access the same information, it becomes difficult to draw a line between one’s own knowledge and other people’s knowledge. By typing in a single word, everyone can call up the same answers, so we are now at a point where knowledge that hitherto ended up inside the brain of an individual is now added to the cloud to be shared with all of humanity.

When people can even share their experiences in real time on Facebook and YouTube, we have reached the point where there is hardly anything friends and acquaintances don’t know about each other. In the future, if all things go on being Internetized and we get to the stage where people are constantly online, the borderline between ourselves and others will become increasingly blurred, and one can expect that the concept of privacy, too, will continue to change.

* What the printing press and the Internet have in common

Many times in the past, society and individuals’ lives have been changed dramatically by the invention of technologies. Among these inventions, the one which is most similar to the Internet is movable type printing technology. It feels odd to call it a technology, but at the time it was a remarkable invention. Before the printing press, there was no custom of storing and sharing human knowledge: it was passed down orally. Because of the enormous cost of creating a book, it was only some members of the privileged class who were able to create or read a book. Knowledge was monopolized by elements of society that included the clergy and the nobility, and there was no way for ordinary citizens to get access to knowledge.

After Germany’s Johannes Gutenberg invented movable type printing in the 15th century, it became possible to cheaply mass produce books, and this brought dramatic changes to society. Ordinary citizens could now buy books cheaply, and it became possible for humanity to store and share its knowledge. From this, ideas, philosophy, and scholarship flourished, and the sort of modern facilities we have now, such as libraries and universities, were created. With humankind now able to store and share knowledge, civilization rapidly developed. Later came the Industrial Revolution, and monarchs and church leaders withdrew from the center stage of history. In their place, business people, intellectuals, and military leaders, who allied themselves with capitalism and democracy, have taken the leading role in establishing the foundations of modern society over the past several centuries. Many of the values we have in common in modern times (freedom, equality, peace, and human rights) are notions that were disseminated by those groups during that period.

Both the Internet and movable type printing technology were, in the beginning, no more than tools for sharing knowledge and information. Both technologies are very much alike in that they spread rapidly after they were introduced, and evolved, altering the framework of society, and also beginning to transform people’s daily lives. However, in the case of the printing press, there was a lead time of about 200 years from the time of its introduction to the time when it was in widespread use and bringing changes to society. A change occurs, another change is triggered by it, and the changes proliferate at a quadratic rate until a tipping point is reached. Only about 20 years have passed since the growth of the Internet really began to take off. However, in 2013 I felt that the Internet had reached the stage where the lead time was over, and that it was beginning to change society. I now believe that the feeling of uneasiness which I have often experienced in recent times in response to changes brought about by the Internet can be attributed to the Internet having reached this tipping point.

* The distinction between profit and non-profit

There have also been changes in the behavior that is the basis of capitalism: making money. Now that consumers are able to access information from around the world, companies can no longer fool them or fleece them by providing an overpriced service. If, for instance, an inferior product is offered for sale, word spreads instantly on the Web, and any person who is interested in the product will search the Web and see what people have written about it.

In the past, companies were able to exploit their superior access to information and political privilege to make profits. Now, consumers can get on the Web and investigate all the options, and find for themselves the best choice. Consumers have become significantly smarter, thanks to the collective knowledge of the Internet. I think that in the coming era, it is going to be difficult for companies to be profitable unless they provide services that offer genuine value. It will be an era in which value and profit will be evenly matched.

To give an example from my own experience, I am using a SIM-free smartphone. That is because when I have changed over to a different phone in the past, the way it was presented to me was as if there were no options but to sign up for a range of bundled services. And so I purchased a Nexus 5 directly from Google Play, signed up for a SIM card at 1,500 yen per month, and now I am using my smartphone without having had to sign up for any contract with a telephone company for a device. For telephone calls, LINE does an adequate job. Not only have I saved money by eliminating the need to sign up for superfluous services, I am also free to change my device, as I am not bound by some telephone company’s complicated contract. Several years ago, this sort of arrangement would have been difficult, because there were no alternatives. Now, all sorts of alternatives are available on the Web, and anyone who has doubts about a particular service can find ways of getting round it.

On the one hand, even enterprises which previously appeared completely unattractive as businesses such as those based on research & development or philanthropy are attracting support from investors who see value in them and becoming established as profitable businesses. Tesla Motors’ electric car is an example of an R&D-type project which attracted support and went on to become profitable. Following Tesla’s success, established car manufacturers too have now committed to developing their own electric cars. If the major companies move in this direction en bloc, we may see progress in CO2 emissions and in the energy problem. To give another example, projects aimed at eradicating poverty are typically non-profit, philanthropic endeavors, but the Grameen Bank, which provides microfinance, showed a way of replacing this sort of activity with a profit-generating business. Kiva Microfunds applies the crowdsourcing model to microfinancing. If established banks recognize the revenue opportunity and get involved, it would result in progress in reducing poverty.

Conversely, most businesses that are established with making easy profits as the motivation will find that in a world of open information, competition will eventually make it hard to generate satisfactory profits. Looking at the overall picture provided by these elements, I feel that, while on the one hand, initiatives which bring value to society are now generating profit more easily, businesses which seek solely to maximize revenue focus too much on short-term profit and end up being bypassed by consumers or get caught up in an extremely competitive environment, making long-term profitability difficult. It may be that ten years from now, the distinction between profit and non-profit will have disappeared, and all undertakings will instead be viewed in terms of the value they deliver.

* Society in transition: the next ten years

I think that in the coming ten years, the combined impact of the Internet and globalization on society will be much more wide-ranging than I have anticipated. And during this ten-year period, existing structures will undoubtedly coexist with new structures. It may well be a time when various things that we take for granted will be subject to review, including the notions of success and failure, work, marriage, running a household, making money, as well as production and consumption.

Even if new structures would dramatically improve people’s lives, and even if the technology to implement them is available, it takes time for people to embrace new values. And I myself, in considering the question of what an ideal society would be like, have not yet come to a conclusion. To be honest, I would like to observe the changes a bit more. Nevertheless, I can say that to be able to experience this era when “nothing is impossible” gives me a feeling of uneasiness mixed equally with a sense of anticipation. I expect that those who lived through the Industrial Revolution had similar sentiments. The people of that time wrote about such things.

The world has been changing faster in recent times. When somebody claims “That’s impossible!” somebody else comes forward, almost before the words are uttered, to contradict the claim and show how it can be done.

Those who are participants in these historic changes are indeed fortunate to be involved.


グローバル化とインターネットのその先にある世界:あらゆる境界線が見直される10年間


市場や業界の各論ではなく、もう少し深堀りしたマクロ的な視点で最近自分が感じている違和感の正体をまとめてみました。2013年になって感じていたのは『予想していたものよりはるかに大規模で重要な変化が世界全体におきてるんじゃないか?』という確信に近い予感です。色々なモノを見て自分の視点が変わったからそう感じるだけかもしれません。なかなか文章にして体系化できませんでしたが、正月に時間がとれたのでまとめてみました。ちなみに完全な私見です。

4億ユーザを50人で支えるスタートアップ

ちょうど年末にWhatsAppというアプリの記事が掲載されていました。WhatsAppとは2011年にアメリカで始まった無料通話・メッセンジャーアプリです。日本ではLINEが有名ですね。月間のアクティブユーザ数が世界で4億人を超えたと発表されていましたが、驚くのはこのサービスがたった50人の社員で運営されている点です。ちなみに世界のインターネット人口は約27億人ですので、ネットユーザの7人に一人が使っている計算になります。単純比較はできませんが、各国の通信キャリアが数千万人に電話を提供するのに、数万人の社員を雇って運営しているのと比べると驚愕です。スマホの普及とアプリを配る流通網が世界中で整った事で、驚くほど少人数でもサービスを世界中のユーザに配信できるようになりました。これまでのビジネスの法則性をまるで無視するかのような規模とスピードで拡大できる環境が整ったと言えます。

※追記:この企業はその後Facebookに約2兆円で買収されました

多国籍企業から無国籍企業へ

前述のWhatsAppの例もそうですが、スマホの領域に限って言えば完全に国境をほぼ無視して活動ができてしまうので、どの国を起点としているとは言えなくなってきています。製造業や家電メーカー、外食チェーンなどは各国向けにローカライズしたプロダクトを輸出し多国籍企業と呼ばれてきました。しかしスマホとアプリが本格的に普及して全世界のユーザが一瞬でサービスを使える状態になるので、どこかの国に活動の中心が存在していると言えばそうではなく、”オンライン上”という境界線の無い世界すべてが活動領域であり、そこでは”どの国が拠点か?”を問う事の意味が薄れてしまっています。スマホの普及で、ネット企業は多国籍化しているというよりは無国籍化しているとも言えるかもしれません。 自分が経営している会社で言えば、収益の大半を本社のある日本以外の国から出すようになり、日本を拠点にした企業かと言われればそうとも言えなくなってきています。オンライン上では自由にリソースが動いているため、どの国の経済活動かを線引きするほうが難しくなっています。

これまで「経済」とは「国」というフレームワークを前提として考えられてきた概念でしたが、今は経済が国という枠組みからはみ出して自立的にひとり歩きをし始めています。まるでコンピュータの一機能でしかなかったOSが、複数のコンピュータを横断して使われる巨大なプラットフォームに進化した時のようです。

グローバリゼーションのパラドックス

もともとはグローバリゼーションとはこれ以上経済成長が困難になった先進国がさらに国外に成長機会を求めて提唱された考え方でした。その根底には国家間の競争と右肩上がりの経済成長の追求があります。歴史的に見れば15世紀に始まる大航海時代から続く鉄板の戦略でそれほど新しいものではありません。 日本でもサービスや製品は自国産である事のほうがもう少ない分野も多いですし、安価な労働力を求めて仕事は国外に移動しています。私自身も日本という国が必要とされなくなるかもしれないと危機感を抱いていました。

しかし、ここには大きなパラドックスがあると最近は感じるようになりました。

実際に国が右肩上がりの経済成長を目指して産業を輸出し民間企業が国境を超えて活動をし始めると、逆に国という単位の存在意義が薄れていく傾向があります。事業をしていて強く感じるのは、どの国に働く人も求めているのは自分と家族のより良い生活と機会の公平な分配でありその動機に差はない、という事です。外交上は仲が悪かったりする国も、現地レベルではそんな事はめったにないです。世界中で同じようにiPhoneやGalaxyを使い、Candy Crushで遊び、同じブランドを着ている人間同士の価値観の違いは無くなってきています。年齢が若くなるほどその傾向が顕著です。 もちろん言語やカルチャーなどにおいては国の影響は非常に強いですが、日々の生活つまり経済活動においては着実に薄れてきています。各国はさらなる経済成長を求めて国外に産業を輸出していった結果、人々は国というフレームを意識する事なく生活するようになるとは皮肉な事だなと感じました。

社会インフラ化する企業

一方で、その流れとはまったく逆に、グローバル化とインターネットの普及の中で、民間企業の提供するサービスが社会インフラ化し公共事業的な色を帯びてくるケースが見られます。 ここでの公共事業とは徴収した税金によって国民全員が必要な道路や水道や電気のような社会インフラに投資をする政府が行う事業の事を指します。

社会インフラ化した例として真っ先にあげられるのがGoogleでしょう。Googleはネットが使える環境であれば誰でも無料で世界中の情報にアクセスし調べたい事を引き出せます。検索が存在する前はこれに近しい役割を担っていたのは図書館でしたが、この経費は市民の税金から賄われているのが一般的です。Googleはもちろん民間企業ですが、検索エンジンの運営費は広告主からの広告費で賄われています。たまにネット界隈の人はこの広告料を”Google税”と呼ぶことがありますが、これほど当を得た表現は無いと思います。

もうひとつ例を上げるとすればFacebookです。Facebookは登録ユーザで世界11億人、これはインターネットを使う人口の約40%に当たります。もちろんこの規模だけでもインドの人口に匹敵します。Facebookの役割は行政が行う戸籍謄本や住民登録番号の機能に近いです。その人がこの世に存在している証明が、公的機関によってではなくその人のつながりによって担保されています。私も最近会った人は名刺の名前をFacebookで検索してつながります。名刺のメアドに連絡する事は少なくなりました。

インターネット以外の領域でもこの傾向は見られます。PayPalの創業者イーロン・マスクによって経営されているテスラ・モーターズは二酸化炭素の排出を抑えた電気自動車を開発しています。その傍らスペースXという民間の宇宙ロケットを開発する企業を経営し、これまでの10分の一のコストでロケットを作れるようにしました。宇宙ロケット開発などは本来はNASAなどの政府機関の投資領域であり、民間企業が単独で取り組むにはハードルが高すぎるものでした。それらをベンチャー企業がビジネスとして取り組み成り立たせられるところまで来ています。

これらの例を見ていると、国民全員の利益になるサービスを提供すると言う意味では既に民間企業は、政府や国と差が無くなってきています。役割においては企業と国は競合関係になりつつあるといえますかつ企業の提供するサービスは国境を超えて展開できるため、国民ではなく人類全体が必要なものまで提供する事ができます。これからますます企業と国の役割分担はあいまいになってくるでしょう。

社会問題も国境を超えて肥大化

経済が世界中でつながりあう一方で、社会問題まで国境を超えて発生しはじめています。政治的、宗教的な紛争などはあいかわらずですが、ひとつの国だけでは解決できない課題に各国が直面するようになっています。

記憶に新しいのはリーマン・ショック、ギリシャ、キプロスなどから始まった金融危機です。ひとつの国で起こる金融危機の影響は一瞬で全世界に波及し、連鎖的なダメージを受けやすくなっています。各国経済が相互依存的に成り立っているため、経済システム全体が運命共同体の状態にあります。リターンと同様にリスクも跳ね上がりました。また化石燃料に依存したエネルギー問題から地球温暖化、人口増加を引き金に発生する貧困などの様々な問題も各国だけで解決できる問題の範疇を超えてきています。

戦後の各国の力関係を基に作られた国際機構も、問題の根本的な解決策の実行よりも各国間の利害と意見の調整にリソースを取られて、複雑かつ急速に変化する問題を対処するには不向きになっているようなが気がします。 これらの問題は国家間の利害対立と競争を前提にしたフレームの中では解決が非常に難しいでしょう。必要なのは解決策の質や規模などではなく、問題に対するアプローチの変化だと私は思っています。

人類全体の問題解決のためのグローバリゼーション

これらの問題解決のために重要になってくるのは、国という利害関係を飛び越えて活動できる民間企業や個人になっていくと考えています。前述の通り、実際にエネルギー問題、CO2削減、宇宙開発というテーマの最先端を走っているのは民間の起業家です。

これまでのグローバル化は国の利益を代表し経済成長を成し遂げるための国家戦略の一部としての側面が強かったと言えます。それは金融と同様に、勝者がいて敗者がいるゼロサムである場合があります。開発途上国では先進国の都合の良いルールとしてグローバル化に反対する声も多いのは事実です。

どうしても自国の国益を第一に考えてしまうと、こういった国家間をまたぐ問題解決は難しいでしょう。これから企業や個人に求められているのは国の代理競争としてのグローバル化ではなく、世界中の人が共通で抱える問題を解決するための「地球」という視点に基づいたグローバル化に変わってくると思っています。

”便利ツール”の域を超え始めたインターネット

グローバル化における国家と経済の関係によく似ているのが、社会とインターネットの関係です。90年代後半にネットバブルが到来して、インターネットが既存の社会の仕組みを作り替えてしまうのでは?と色々な憶測が飛び交いましたが、ネットバブルの崩壊とともに失望が広まり、以後10年間はインターネットは既存の社会を便利にする”ツール”の域を出ませんでした。 ちょうど2013年ぐらいから状況は大きく変わってきたと個人的に思っています。インターネットは社会を便利にするツールの域を超えて、社会の仕組みそのものを根底から再定義し始めているような気がします。

例えば、これまで情報セキュリティの問題に過ぎなかった情報漏洩やハッキングはWikiLeaksやAnonymousのような集団の登場により、国家安全保障のレベルで見直される最重要事項になりました。それにより最も損失を被ったのは、ITにより最も恩恵を受けたはずのアメリカでした。またビットコインは数世紀触れられる事の無かった通貨発行権限にまでメスを入れはじめており、この影響は経済の土台を揺るがしかねないものであるため、中国のように政府が公に規制する例も出てきています。 上記以外にもインターネットが産業の効率化から産業構造の変換を迫るようになり、その産業で利益を得ていた既存プレイヤーが窮地に陥る例は枚挙にいとまがありません。

これらは、インターネットというテクノロジーが影響を与える領域が社会の表層から核心部分にまで届きつつあるという事を表しているのだと思います。かつて騒がれていた「ネットが社会システムを作り変える」という絵空事が、15年遅れて現実のものになりつつあります。

テクノロジーが境界線を引き直し始める

1)社内と社外の境界線

労働という概念もここ数年で劇的に変化してきています。ノマドの増加は当初は単なるフリーター的なトレンドの再来のように捉えられていましたが、今回はインターネットの本格的普及が背景に存在する別種の変化のように感じています。人々の世相を表しているのではなく、産業構造の変化に起因している可能性が高いです。

企業はクラウドソーシングなどを活用すれば、大量の労働力を自社内で抱え込まなくても、世界中のリソースをリアルタイムで必要な分だけ調達する事ができ、小さいまま膨大な量の仕事をこなす事ができます。アプリ開発などでは、運営企業は数名しかいないのに開発に関わった人達は100人以上なんてケースも普通にあります。クラウドソーシングの最大手oDeskでは世界で600万人に近いフリーランスの人達がオンライン上で仕事を完結させています。

仕事かどんどん分散化されてクラウド化して社外に外注されていくと、どこまでが社内でどこまでが社外かの線引きが非常に難しくなってきますひとつのプロジェクトに膨大な数の人達が関わってくるので、その固まり全体がひとつの利害関係の共同体とも言えます。スキルのある人間は複数のプロジェクトに並行して関わるようになっており、自社と他社という境界線もあいまいになり、人間がひとつの職を持つという習慣も変化してきています。

2)自分と他人の境界線

インターネットが他のテクノロジーよりも圧倒的に優れた特徴として「集合知」があげられます。Googleなどの検索エンジンは一瞬で世界中の知識にアクセスする事を可能にします。日本でもNanapiなどのサイトを見れば、他人が数ヶ月かけて得た知見やノウハウをすぐに知る事ができます。 すべての人間が同じ情報にアクセスできる状態では、どこまでが自分の知識でどこまでが他人の知識なのかの線引きが難しくなりますワードをひとつ打てば全員同じ答えを出せるのですから、これまで個人の脳内で完結していた知識をクラウド化し全人類で共有している状態にあります。

FacebookやYoutubeでリアルタイムで体験も共有できるようになると、知人同士でお互いに知らない事がほとんど無い状況になります。ここからあらゆる物体がインターネット化していき、常に人間がオンラインの状態になれば、他人と自分の境界線がますます曖昧になり、プライバシーという概念も変わっていく事が予想されます。

活版印刷技術とインターネットの共通点

かつてテクノロジーの発明によって社会や人間が劇的に変化した事が何度もありました。その中でもインターネットと最もよく似たテクノロジーが活版印刷技術の発明です。印刷技術をテクノロジーと呼ぶと違和感を感じますが、当時は大変な発明でした。この技術が登場する前は、人間は知識を保存し共有する習慣がなく、知識とは口頭で伝承されるものでした。書物の作成には莫大な費用がかかるため、一部の特権階級を除いては作ることも読むこともできませんでした。その当時は、知識とは聖教者や貴族などの社会の一部の人達に独占されている状態にあり、市民は知識を入手する方法がなかなかありませんでした。

15世紀にドイツのグーテンベルクが活版印刷技術を発明し、書物を安価に大量生産できるようになった事で社会は劇的に変わっていきます。一般市民が安く書籍を購入できるようになり、人類は知識を蓄積し共有できるようになりました。そこから思想・哲学・学問が生まれ、図書館や大学などの近代施設が作られていきます。知識を保存し共有できるようになった人類は急速に文明を発達させていきます。 その後、産業革命が起こり、王様や聖教者は歴史の表舞台から姿を消します。代わって、資本主義と民主主義を味方につけた商人・知識人・軍人が社会の主役として何世紀にもわたって現代社会の基礎を築いていきます。今日私達が共通して持つ価値観(自由・平等・平和・人権)は彼らがこの時代に普及させた概念である事が多いです。

インターネットも活版印刷技術も、どちらも最初は人間の知識や情報を共有するただのツールに過ぎませんでした。その後、爆発的に普及する事で進化していき、社会の枠組みを変え人間の習慣をも変化させ始める、という点でこの二つは非常に似ています。ただ印刷技術の登場から書物が一般に普及しそこから社会に変化を与えるまでに、約200年の準備期間を必要としました。ある変化が起こると、その変化に触発されてまた別の変化がおき、それが2次関数的な速度で増殖していきティッピングポイントに到達します。ネットは本格的に普及し始めてからまだ20年ほどしか立っていません。ただ私は2013年の段階でネットが社会を変える準備期間を終えたように感じました。最近よく感じていたネットが起こす変化への違和感の正体は、これだったのではないかと思うようになりました。

営利と非営利の区別

資本主義の基礎、「稼ぐ」という行為も変化してきています。消費者が世界中の情報にアクセスできるようになると、企業が消費者を騙したり、一方的に有利な条件でサービスを提供し利益をかすめ取る事ができなくなってきています。例えば劣悪な商品だった場合には一瞬で口コミはネットを通して拡散し、その商品に興味を持ったユーザが検索をした時にその記事を目にするようになります。

かつて企業は情報格差や政治的特権を活用して利益を上げる事ができました。今は消費者がネットを使ってあらゆる選択肢を調べて自力で最良の選択ができるようになってきています。ネットの集合知のおかげで消費者が劇的に賢くなりました。これからの時代は本当に価値のあるサービスを提供しない限りは利益を出しにくい、価値と利益がイコールに結びつく時代だと思っています。

身近な例で言うと、私はSIMフリーのスマホを使っています。以前に機種変更をする時にオプションにもかかわらずあたかも強制加入のような見せ方で色々なサービスをあれこれ加入させられそうになった事があったためです。なので、Google Playから直接Nexus5を購入して、SIMカードを月額1500円で契約して、通信キャリアと端末の契約をせずにスマホを使っています。通話はLINEを使えば十分でした。実際に無駄なサービスに加入する必要がなくなり節約になった上、通信キャリアとの煩雑な契約に縛られずに機種も自由に変えられます。数年前でしたら選択肢が無かったのでこういった事も難しかったでしょう。今は様々な選択肢がネットにあふれているので、そのサービスに疑問を感じたら迂回する方法を見つけられます。

一方で、以前はビジネスとしてはまったく魅力的には映らなかった研究開発的事業や社会貢献的事業も、それに価値を感じる支持者を集め利益の出るビジネスとして成立しつつあります先ほどのテスラの電気自動車などが前者の典型と言えます。テスラの成功例を見て既存の大手自動車メーカーも本腰を入れて電気自動車の開発に取り組むようになりました。大手がこぞって参入すればCO2の削減とエネルギー問題は前進するかもしれません。また貧困の撲滅というテーマは社会貢献的な非営利活動であるのが普通でしたが、グラミン銀行から始まるマイクロファイナンスはそれを収益の出るビジネスという活動に置き換えました。Kivaはこの仕組みをクラウドファンディングとして応用しました。これを収益の機会と捉えた既存の銀行が参入するようになり、結果として貧困減少を前進させる契機になりました。

反対に「楽に儲かる」という動機で始められるビジネスの多くは、情報がオープンである世界では過剰な競争を発生させ最終的には満足に収益が出にくくなっています。 これら全体の流れを見ると、社会的に価値のある取り組みは利益が出しやすくなってきている一方で、利潤のみを徹底的に追求する事業は短期的な利益を求めすぎて消費者に迂回されてしまうか、過剰競争に巻き込まれて長期的には収益を出しにくくなっているような気がします。もしかすると数十年後には「営利」と「非営利」という区別は無くなっており、活動はすべて「価値」という視点から捉えられるようになっているかもしれません。

社会の移行期にあたる10年間

これから10年間でインターネットとグローバル化のコンボが社会に与える影響は、自分の予想をはるかに上回る規模になると思っています。そしてこの10年間はこれまでの仕組みとこれからの仕組みが併存する期間になるでしょう。今私達が当たり前に考えている成功や失敗の定義、働く事、結婚する事、家庭を持つ事、お金を稼ぐ事、生産して消費をする事、こういった当たり前の事も見直されていく時期なのかもしれません。

テクノロジー的には実現可能であり生活を激的に向上させるものであっても、新しい価値観が受け入れられるまでには時間がかかります。私自身もまだ「理想的な社会とは何か?」という結論は出せないでいます。もう少しこの変化を観察してみたいというのが正直なところです。ただ「あり得ないなんて事があり得ない」という時代を経験できるという事は不安が半分、期待が半分といったところです。きっと産業革命の時代を生きた人たちは同じ気分だったのでは無いかなと思っています。当時の人はこんな事を文章に残しています。

近ごろは世界の変化が速くなった。「そんなことは不可能だ」と誰かが言いかけると、まだ言い終わらないうちに、それをすでに実行している人から異を唱えられる。

この歴史的な変化の中を、当事者として関われるのはきっと運が良いことでしょうね。


45万回のアイコンABテストにみる、ダウンロードされやすいアイコンの特徴とは?


決済サービス「spike(スパイク)」のリリースのほうに時間を割いていて、ブログの更新が滞っていました。。。何かの片手間でブログを続けるってなかなか難しい。気分転換にブログを新しくしました。調べるおタカノリさんやサイプロさんスゲーなと思うこの頃です。

先日Google Playがリニューアルされた記事をアップして、アイコンの大きさが2倍になり、今後Google Playでますます重要になるなと感じたわけですが、7月の末に今度はPC版のGoogle Playもリニューアルされてダウンロードページのクリエイティブがアイコンとスプラッシュだけになってしまいました。以前は大きい長方形のバナーが表示されていましが、こちらは使われるのはGoogleのおすすめに入ったときだけで、ほとんどのディベロッパーには無縁のものになってしまっています。 今後アイコンが重要になってくる流れは間違いないので、これを無料で最適化できるサービスが作れないかずっと考えていました。

 

そもそもアイコンはどうやって決まるのか?

アプリのマーケティングやマネタイズ周りのサービスを提供している「どういうアイコンが良いんですかね?」と良くマーケ担当の方からご質問を受けます。 それを見てるとアイコンが決まるプロセスはだいたい下記のような場合が多いようです。

・プロデューサーの世界観を反映する

作った人のこだわりが強い場合はマーケティング的な要素抜きにしてゲームやアプリの世界観をプロデューサーの人が直感で決定することが多いです。

・類似のアプリのを参考にする

カテゴリで一番有名なアプリや、競合のアプリに似せることでユーザにアプリのコンテンツの内容を想像させやすくする。

・超有名なアプリを参考にする

最近ではフラットっぽいアイコンとか角が丸くないアイコンも増えてきました。 多分Googleの標準アプリの影響かなと思います。

 

”なんとなく”で決まっているアイコン

上記のように、トップディロッパーのアプリのアイコンも実はけっこう何となくで決まっていることが多いなーと感じます。数値的な根拠があるアイコンというのは5%以下だろうなと思います。よく考えてみると、Google PlayやAppStore上でのアプリのアイコンのCTRとそこからのCVRを2倍にするだけで、広告費が半分以下で済むことになるので、なんとなく決めるのはかなりもったいないんじゃないかな?と思うようになりました。

ただ、Google Playはディベロッパー向けの管理画面にアイコンごとのCTRやCVRを測定する機能は無いので、完全にブラックボックスです。デイリーのダウンロード数やアンインストール数しか見えません。

これだけのために予算を取って広告出稿をするのもどうかと思いますし、テストのために広告予算が投下できるのは限られたトップディベロッパーだけです。 個人アプリ開発者や中小ディベロッパーとなるとアイコンの最適化のためだけに貴重な資金やリソースを割くのは難しいです。アプリ開発者に共通して発生する悩みですが、ここらへんを簡単に解決するサービスがなかなか無くて困りました。

 

相互送客を活用してアイコンをABテスト

そこで、ディベロッパーが無料で使えて、アイコンを最適化できるサービスを自分で作ることにしました。ユナイテッドさんの世界1200万DL超えのアイコン着せ替えアプリ、CocoPPa(ココッパ) にもご協力頂き、日本での正式リリースの前段階でかなり多くのケーススタディを得ることができました。

このサービス”Exchanger(エクスチェンジャー) “の仕組みは非常に単純で、広告を表示した際に発生するインプレッションをそのままアプリ同士で交換し、そのトラフィックでアイコンのABテストを実施します。

広告を表示した回数に応じて、他のアプリでアイコンが露出します。アイコンは複数登録することができ、それぞれのアイコンのCTR・CVRの比較をレポートを管理画面で見ることができます。 開発者はアプリ内で広告を表示する以外に特別なことをせずにアイコンの最適化をできる仕組みです。

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広告のインプレッションはユーザがアクションをしなければ無駄に垂れ流されていることが多いので、それをそのまま集客とアイコンのABテストに流用した仕組みです。 世界中の様々なジャンルのアプリのアイコンでこれまで45万回ほどテストしてもらい、そのデータを基にダウンロードされやすいアイコンの共通点を洗ってみました。

 

アイコンに文字は入れるべきか?

Google Playの多くのアプリには文字が含まれていません、ロゴやキャッチコピーが含まれているアプリはざっと見て2〜3割程度のように見えます。

アイコンに文字を含めるべきかどうかは、人によって意見が分かれるとこではあります。そもそもユーザは文字を認識してタップするかどうかも個人差があり、統計的にどうなのかはけっこう謎でした。文字を入れたバージョンと入れないバージョン、文字の長さや位置を変えて色々試して頂いた結果を 一部共有すると下記のような結果でした。

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個人的に以外なのは、ブランドが確率されているアプリは文字を入れないほうが効果が高いと思ったのですが、結果は逆でした。簡潔なテキストを施したほうが高い結果が出ました。一方で2つ以上のメッセージを伝えようとすると逆にCTR/CVRともに減少してしまう傾向があります。

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文字の内容によってもかなりの差が出ていて、長過ぎるとユーザはスルーし、短すぎると伝わり難いので、いかに適切な単語を選べるかにかかっています。例えば下記の事例も、デザインは白ベースでテキストも単語2文字を全面に押し出しているものが最も効果が高かったです。

スクリーンショット(2013-08-25 2.52.22)

 

アイコンの枠は本当につけるべきか?

よくある枠をつけると目立ちやすいという事が通説になっており、ソーシャルゲーム系アプリだと非常に高い確率で 金属系の枠がアプリの周りにつきます。枠ありと枠なしでは下記のような結果でした。

スクリーンショット(2013-08-25 2.53.08)

枠そのものでは大きく結果は変わりませんが、色との組み合わせが入ってくると差が出てくるようです。かつアプリのジャンル、特にゲームではコア向け、カジュアル向けなどによってもアイコンの枠の効果は変わってくる傾向があります。

 

本当は何色のアイコンが目立つの?

これも他のアプリが何色かによって目立つ目立たないがかなり大きく変わってきます。例えば以前AppStoreで 柄が無くて黒一色のアプリが合って、思わず中身が気になってダウンロードしてしまいましたw

柄を同じにしてカラーのトーンを変えて比較して見ると下記のような結果です。

スクリーンショット(2013-08-25 2.53.22)

興味深いのはカラーの組み合わせによってはコンバージョン率が2倍近く異なる点です。要因まで正確に分析しにくいですが、アイコンの基礎カラーがダウンロードに及ぼす影響はやはり強く、かつ2色以上の組み合わせによってさらに大きく差がつく傾向が見れました。ただ特定の何色が一番目立つかと言えば、特に傾向が無く、アプリの内容ごとに最適な色の組み合わせは変わってくるようです。

 

アイコンは角丸が本当に良いか?

Androidアプリのアイコンの形は8割は角丸型の正方形です。AppStoreと違ってGoogle Playはアイコンの形を好きに作れますが、多くのアプリはiPhone版を踏襲して角丸の正方形を使っています。

円型、正方形、角丸と3つのタイプで試してみました。

スクリーンショット(2013-08-25 2.52.57)

これ以外でもデザインは同じで形だけ変えて試してみましたが、結果は同様でCTR/CVRともに顕著な差はつきませんでした。アイコンの形が効果に与える影響はそこまで高くない傾向が見えてきました。

 

外部要因に左右されまくるアイコンの効果

様々なパターンを見ていると実際はパターン化というのはかなり難しいことが分かります。これはアプリの内部的な要因 (コンテンツの質・色・デザイン・カテゴリ)と外部的な要因(競合のアプリ・流行・認知度)にさらに時間軸が絡み合って アイコンの効果が決まっているためだと思われます。

スクリーンショット(2013-08-25 3.31.09)

 

例えば、あるアプリがヒットし、似たようなアイコンがマーケットに増え始めるとアイコンの効果は下がってしまう事が想像できます。 そう考えるとそのアプリに最適なアイコンとは恒久的なものではなく、時と共に変化しつづける流動的なものと言えるかもしれません。株価とかに近いような気がします笑。

 

継続的にテストを繰り返していくしかない

今最高のアイコンが必ずしも3ヶ月後も同様に効果が高いとは限らず、外部要因によって大きく変動する可能性は高いです。継続的にアイコンをテストしながら、最も高い効果のアイコンを最適化していく必要があるということは理解が出来ました。

  • ①アイコンのコンバージョン率が高まる
  • ②アプリストア上での自然流入数が増える
  • ③ランキングがなだらかに上昇トレンドにのる
  • ④順位上昇でさらに自然流入数が増える

上記のようにうまくのせれれば好循環スパイラルで広告費をかけずにユーザを増やし続けていくことも可能です。もちろん離脱率を下げるためのコンテンツ側の施策は別途やっていかなければいけないところですが。

今までアプリビジネスにおいてブラックボックスだったことも、どんどん数値やデータをもとに検証できるようになっていけば、ディベロッパーにとってはさらに収益を上げやすい環境が整ってくるでしょう。今でも一年前に比べれば数倍はやりやすくはなりました。さらに来年はもっと改善されていると思いますし、それに貢献できるようなサービスを個人的には作っていきたいとこですね。

スライドシェア資料
http://www.slideshare.net/katsuakisato/45ab

 


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