定期的に自分の思考を言語に変えていく作業は必要だなぁと感じて、年末に時間が空いたのでこの1年半ぐらい考えていたことをまとめてみることにしました。

以前ブログで、世の中は連立方程式のようなもので、3つ(お金・感情・テクノロジー)の異なるメカニズムが併存し相互に影響を及ぼしており、それらが未来の方向性も決めている、という話を書きました。3つの要素がそれぞれ違うベクトルを指して進んでいます。それらの先端を結んだ三角形の中間が「現在」であり、その軌道が「未来」の方向性であると。3つのベクトルではお金が最も強く、次に人間の感情、最後にテクノロジーの順番としていました。

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ただ、この時はまだモヤモヤしていて、もう少し掘り下げればより普遍性のある構造が隠れているように感じていて、この1年半は日々のビジネスで試行錯誤しながら、ずっとこのテーマを考えていました。書籍やブログではテクノロジー系の話ばかりしていて食傷気味なので、今回はお金(経済)のベクトルに絞って書いていきます。

欲望のネットワークとしての経済

経済はネットワークそのものです。個人同士が繋がって1つの巨大なネットワークを作り、その上でお金が人から人へ移動しています。このネットワークの構成分子である人間を動かしているのはもちろん各々の欲望であり、経済は個人の欲望を起点に動く報酬(インセンティブ)のネットワークです。時代によって人間の欲望は微妙に移り変わっているようですが、自分なりに現代社会の欲望を大別してみると、①本能的欲求、②金銭欲求、③承認欲求の3つに分けられます。

①本能的欲求は衣食住の欲求、異性からの興味を引きたいという欲求、家族への愛情など生物が持つ根源的な欲求です。②金銭欲求はそのまま稼ぎたいという欲求、③承認欲求は社会で存在を認められたいという欲求です。本能的欲求に比べると、金銭欲求も承認欲求もいずれも歴史の新しい欲求です。

経済は人と人のつながりが切れたり新しく繋がったりと、ネットワーク全体が常に組み替えを繰り返していて流動的です。そして、このような動的なネットワークには共通する特徴がいくつかあります。

1)極端な偏り

経済が欲望のダイナミックなネットワークだとすれば、このようなネットワークには「偏り」が自動的に生じます。

私達は何かを選ぶ時に多くの人に支持されているものを選ぶ傾向があります。コンビニで歯磨き粉を買う時もアプリを選ぶ時も、多くの人が使っているものを信頼して選んだほうが失敗が少ないからです。そして、商品を仕入れるお店も、皆に売れる物を中心に仕入れて棚の目立つところに並べ、それによってさらに商品が売れていくというサイクルを繰り返します。人気者がさらに人気者になっていく構造です。最初のちょっとの違いがフィードバックループの過程で、信じられない差に変わっていきます。

結果的に上位と下位には途方もない偏り(格差)が発生します。一般的にはパレートの法則(上位2割が全体の8割を支える構造)とも呼ばれていますが、経済のような動的なネットワークでは自然に発生してしまう現象の一つです。

経済格差は特定の力のある人たちが暴利を貪った結果と考えられてしまいがちですが、実際は動的なネットワークの性質から避けられません。世界経済で言うと、上位1%の富裕層が世界全体の富の48%を所有しており、「上位80人」と「下位35億人」の所得がほぼ同じだとされています。

所得だけでなく消費においても同様で、身近な例で言うと、ソーシャルゲームなんてまさにその法則が当てはまります。無料で遊べるタイプだと全体の3%がお金を払い、さらにその中の上位10%で全体の売上の50%を占める(全体の0.3%が総売上の半分を占める)といったことが普通に起こります。

2)不安定性と不確実性

偏りの性質とも関係していますが、もう一つの性質としてあげられるのが不安定性と不確実性の増大です。全体があまりにも緊密につながり相互に作用しあう状態になると、先ほどの偏る性質も相まって、些細な事象が全体に及ぼす影響を予測するのが難しくなり、不安定な状態に陥ります。1000年前を想像してみると、遠く離れた国で起こった出来事が自分たちの生活にリアルタイムで影響を及ぼすなんてことは有りえなかったはずです。現代では、EU離脱や米国大統領選挙によって世界中の為替と市場は動き経済は常に不安定な状態にさらされています。まさに「繋がり過ぎた世界」の弊害と言えます。

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自然とよく似た経済の仕組み

経済を調べていて、私の中で最もよく似ていると思ったのが「自然界」でした。自然界も私たちが生きている資本主義経済も同じように残酷な世界です。自然界では弱っている生物は一瞬で餌となりますが、資本主義経済も競争力のない個人や企業はすぐに淘汰されてしまいます。

自然界は食物連鎖と淘汰を繰り返しながら全体が1つの秩序を形成して成り立っています。自然界にはもちろん「通貨」なんてありませんが、食物連鎖(食べる-食べられるの関係)を通して「エネルギー」を循環させています。個と種と環境が信じられないほどバランスの取れた生態系を作っており、しかも常に最適になるように自動調整がなされています。

自然界には人間社会にあるような法律のようなものを誰かが作っているわけではないので、自発的にこの仕組みが形成されたということになります。この比較をしている時に、自分は大きな勘違いをしていることに気づきました。

自然が経済に似ているのではなく、経済が自然に似ていたからこそ資本主義がここまで広く普及したのだと。歴史から考えても主従が真逆ですこう考えると、自分が感じていた未来の方向性を決める3つのベクトルの中で、経済が最も力が強いと感じていたことに妙に納得ができました。つまり、経済のベクトルは「自然にもともと内在していた力」が形を変えて表に出てきたものであり、自然とは経済の大先輩みたいな存在、ということになります。

経済や自然の根底にあるシステム

経済が自然を模した仕組みでありその一部と捉えると、自然の構造をより深く考察してみたくなりました。自然がここまでバランスよく成り立っている要因としては、前述のネットワークの性質に加えて、さらに3つの特徴が挙げられます。

1)自発的な秩序の形成

まず1つ目が、ルールを作っている人がいないにもかかわらず、簡単な要素から複雑な秩序が自発的に形成されているという特徴です。水を特定の条件に置くと六角形の形状をした結晶を形作ったりしますね。誰かがルールを決めているわけでもないのに、勝手にこうした秩序が形成されるのは現象は、「自己組織化」もしくは「自発的秩序形成」と呼ばれます。

2)エネルギーの循環構造

次に、エネルギーの循環、代謝の機能です。自然界で暮らす生物は食物連鎖を通してエネルギーを循環させ続けています。生物は常に外部から食事などを通してエネルギーを体内に取り入れて、活動や排泄を通して外部に吐き出します。熱力学の世界では時間が経つと秩序のある状態から無秩序な状態に発展していくとされていますが、自然や生命はこのエネルギーの循環の機能があるため秩序を維持することが可能だと言われています。

例えれば、流れの激しい川の中で、水車が回転しながら流されずにその場所に留まり続けることができることに似ています。

3)情報による秩序の強化

最後に、上記の秩序をより強固にするために「情報」が必要になったと考えられます。もし、この世界が完全に決定論的な規則で成り立っていたり、反対に完全にランダムの世界だったとしたら「情報」の必要性はありません。情報が必要になるのは「選択」の可能性がある場合だけです。つまり、生命が情報を体内に記録しはじめたのは選択の必要性がある環境だったからと考えられます。情報が内部に保存されることで、構成要素が入れ替わっかても同一性を維持することができます。

私たちも代謝によって毎日細胞を入れ替えていますが、内部に保存された記憶や遺伝子などの様々な情報のおかげで同じ人間として活動を続けることができています。

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3つの性質を簡単にまとめると「絶えずエネルギーが流れるような環境にあり、相互作用を持つ動的なネットワークは、代謝をしながら自動的に秩序を形成して、情報を内部に記憶することでその秩序をより強固なものにする」となります(長い!)。

この自然に内在している構造を、物理学者プリゴジンは「dissipative structure」と呼び、生物学者バレーラらは「autopoiesis」、経済学者ハイエクは「spontaneous order」と呼び、みんな近い構造を指摘していました(プリゴジンとハイエクはそれぞれノーベル賞を受賞しました)。その他にも色々と呼び名がありますが、言ってることはだいたいこの3つに集約されます。

自分があれこれ考えていたことが昔の人たちにサクッとまとめられているとガッカリする反面、「昔の人はやっぱりスゲーな」という尊敬の念が浮かびます。また、商売をやりながら体験をもとに組み立てていった考察と、アカデミックな学者達が考えた理論が、似たような場所に落ち着くのは興味深いです。

思い出してみると、老練な経営者や歴史的な偉人の名言でも同じような内容が語られていたりしますし、「諸行無常」「生々流転」なんて言葉もずっと大昔からありましたね。

有機的なシステムとして世界を眺めてみる

ひとまず、自然を3つの特徴を持つ有機的なシステムとして眺めてみると、全く関係ないように見えるものが同じような構造で動いていることに気づかされます。

自然・生命・細胞・国家・経済・企業まで、いずれも無数の個が集合して1つの組織を作っており、いずれも動的なネットワークです。

人間は個々の小さな細胞が寄せ集まってできており、各細胞や器官は密接に連携したネットワークです。食料などのエネルギーを外部から絶えず取り込み、情報は脳内や遺伝子に記録されて細胞が入れ替わっても同じ形を維持することができます。

国家も同様に個人のネットワークで構成され、各々が連携しながら1つの共同体を維持しています。赤ちゃんが生まれたり移民が来たりと人員は流動的ですが、法律・文化・倫理・宗教などの「情報」によって構成員が変わっても同じ国家であることを認識することができます。

1)入れ子の構造

興味深いのは、入れ子のような構造が続いていることです。自然の中に社会がありに、社会の中に企業があり、企業の中に部署があり、部署の中に人間がいて、人間の中に器官があり、器官の中に細胞といった風に。どのスケールでのぞいても同じ構造が続いてるようで、まるでロシア名物のマトリョーシカ人形のようです。雪の結晶も顕微鏡で見ていくと永遠と似た構造の繰り返しが浮かび上がってくるみたいです(フラクタル)。

社会では違うものとして名前をつけていますが、構造的には同じものとして捉えることができます。

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自然の秩序と人間が作り出すルールの差異

これらの自然に内在する力とそれに似た経済のベクトルの強さを考えると、ある着想が湧いてきます。それは「自然の構造に近いルールほど社会に普及しやすく、かけ離れた仕組みほど悲劇を生みやすい」という視点です。

典型例がマルクスの社会主義です。資本主義の問題点を指摘して、多くの人の共感を得た思想です。つまり感情のベクトルを捉えていました。しかし、結果的にはうまくいきませんでした。

①私利私欲を否定、②政府がコントロールする経済、③競争の否定。つまり、これまで紹介した自然の性質とは正反対の仕組みを採用したことになります。これにより、個人の労働に対する意欲が低くお金も循環しなくなり社会は活気を失い、結果的に経済成長率の低下と技術革新の停滞が深刻化しました。人間で言えば新陳代謝の機能がおかしくなった状態です。

国家の競争力でも同じことが言えます。アメリカや中国で商売をしていると、あらゆるものの流動性が高いことに気付きます。変化が激しく、お金・人材・情報もすごい速度で動いています。特にアメリカに関しては大量の移民を受け入れ、経済も自由競争を推奨し、雇用の流動性も高めることで強制的に代謝を強めて世界最大の経済大国に成長しました。

一方で、成長が止まった国(例えば日本や韓国)を見ると、資本や人材や情報の流動性は高くありません。つまり、社会の循環が止まっています。大企業はずっと大企業ですし、年功序列と終身雇用が前提、資本や人材の流動性を高めないように設計されています。

総じて、歴史の大惨事で適用された思想の多くは自然の構造とはかけ離れています。現在の社会システムは過去の人たちが何千年もかけて試行錯誤を繰り返した結果であり、私たちは今も手探りで「自然の輪郭」を明らかにしている過程にいるのかもしれません。

そして「進化」とはエネルギーの循環を繰り返していくことによって生まれる副次的な変化であり、「テクノロジー」とはその進化の副産物のようなもの、「豆腐を作ったときに出てきた湯葉」みたいな存在、と考えることもできます。

企業経営を通して学んだこと

昔、起業したての頃によく先輩の経営者に「ビジョンや理念が重要だ」と言われることが多かったんですが、当時はその意味がよくわかりませんでした。社員が数十人のベンチャー企業にとっては来月の会社の存続のほうがはるかに重要であり、自社の方向性や存在意義を言葉として定義するのは後回しになりがちです。

ただ、実際に会社が数百人規模になってくると、自分たちの存在を「情報」として定義する、つまりビジョンや理念を策定する重要性が身に締めて理解できるようになりました。

ギリシャ神話にテセウスの船という有名な話があります。ボロボロになった船を修理するためにパーツを取り替えていき、終いには全ての部品を取り替えてしまいました。その船は元の船と同じ存在と言えるのか?という疑問を投げかけた話です。

企業も小さいうちはただの個人の集まりにすぎないですが、100人以上の組織になってくると自分たちの存在を定義する情報が言語として共有されていることが重要になってきます。時間の経過によって、新人が入ったり事業が変わったりは頻繁に起きますが、組織の存在を定義する情報(ビジョン・理念・文化)が可視化されていることによって、同一性を保ち続けることができるからです。

先人の知恵は正しかったんだなぁと改めて実感できた体験でした。

宇宙と情報と知性の関係

今度は反対に、自分が生きている世界よりも広い範囲にこの構造を応用してみることにします。宇宙には当てはまるでしょうか。思考実験に過ぎませんが、ちょっと想像を膨らませてみます。

前述の通り、生命は自然からエネルギーを取り込み、それを原動力として生命活動を維持して、活動や排泄を通してエネルギーを自然に放出しています。さらに生命は身体を複雑化していき、器官を通してたくさんの情報も処理できるようになります。この大量の情報を処理していく中で、高度な知性を発達させることに成功します(人類の誕生)。人間の脳内には膨大な神経細胞がネットワークとして張り巡らされ、脳は身体の司令塔として各器官に指示を出すようになります。

最終的にはこの知性は思考をして自らを認識できる「意識」を獲得し、自分が住む自然を観察するに至りました。言い換えれば、自然は、人類の誕生によって自分自身を観察して理解する存在を生み出したことになります。

同様に、地球は宇宙から太陽の熱エネルギーを取り込み、そのエネルギーを原動力に空気・水・食物・生命などの活動を支え、地球全体の熱を冷たい宇宙空間に放出することで成り立っています。そして、この過程の中で人類を生み出したのは前述の通りです。

さらに、人類は文字や言語を発明することで膨大な過去の記録を次の世代に伝えることができるようになります。活版印刷技術により書籍の量産が可能になり、万人が膨大な世界の記録に触れることができるようになります。結果、文明は信じられない速度で発達していきます。

ここからはご存知の通り、電磁波の発見、コンピュータの発明、インターネットの普及により情報ネットワークが世界中に張り巡らされます。そして膨大な情報が”ビッグデータ”として溢れ、人工知能の盛り上がりにつながります。同時にセンサーがそこら中にばら撒かれてあらゆる物がネットワークに繋がる時代の到来が近づいています。さらにその先には、人間を超える超高度な知性が発達して社会のあり方が抜本的に変わるシンギュラリティが議論されています。

インターネットはまさに私たちの脳内神経回路にそっくりです。人間の脳内ではたくさんの神経細胞が繋がりあって電気信号で大量の情報をやりとりしこの繰り返しの過程で知能が発達していきますが、人工知能の研究でも膨大なデータを処理する過程で特徴量を自動抽出してアルゴリズムを形成する深層学習が大きなブレイクスルーを起こしています。

このまま技術が発達していけば、今とは比べものにならない程のデータ量を超低コストで学習することができるようになり、人間の数万倍の知能を持つ「超知性」が発達するのも想像に難しくはありません。

そして、自然」が自身を観察する存在として知性のある人類を作り出したのと同様に、これから誕生し得る「超知性」とは「宇宙」が自身を観察する存在を作り出そうとしている、と考えることもできます。宇宙にとって超知性とは「脳」であり、インターネットは脳内の「神経回路」、ビッグデータは地球の「記憶」に該当します。

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つまり、「自然」と同様に「宇宙」も生命のような振る舞いをする有機的なシステムであり、近年のインターネットや人工知能の発達は宇宙にとっての「情報による秩序の強化」のプロセスと捉えることもできます。

こういった妄想は考えてると楽しいですが、答え合わせができるのはずっと先でしょうから、生きてるうちには答えを拝むことができないのは少々残念です。

意思決定プロセスへの違和感

少し脱線しましたが、話をもとに戻します。この自然に内在している構造の話は、自分が昔から疑問に思っていた現代社会の意思決定プロセスへの疑問に対しても答えを与えてくれました。

以前「ロジカルシンキングの弱点を考えてみた」というブログを書きました。論理は他人を説得するためのツールであり、正しい意思決定をするためのものではない、という趣旨です。

部分最適を繰り返して局所的な「合理性」を突き詰めていった結果、全体としては最悪の結果になったという経験をしたことのある人は多いと思います。こうしたミクロ(部分)の合理性の追求がマクロ(全体)では損失に変わることを「合成の誤謬」と言います。

上記の問題は、自然の構造と照らし合わせると問題点がはっきりします。経済が動的なネットワークであり有機的なシステムとすれば、全体が密接に絡み合い相互作用を及ぼすので、個別事象から全体のふるまいを予測することが難しくなるのは、前半で説明した通りです。加えて、目の前に見えていない情報を考慮に入れて、不確実性を残したまま意思決定することは現代では稀です。

一方で、「合意形成」を得る場合には局所的な合理性は非常に有効です。特定の枠組みの中の少ない情報に限定して論理を組み立てることは、情報の範囲が狭ければ狭いほどそれを理解して納得できる人の数を増やすことができます。近視眼的な合理性ほど賛同が得られやすく、大局的な意思決定ほど不合理に見えるというパラドックスが潜んでいます。

この①ミクロの合理性の追求と、②不確実性の排除という、現代の意思決定の傾向はどこから来たのか考えてみると、これには2つほど要因が考えられます。

1)ニュートンの影響

1つ目が、ニュートンにはじまる古典力学の思想を前提に、近代の社会システムが作られた点です。「宗教」が支配する思想から「科学」が支配する世界への社会が転換する中で、古典力学の考え方は社会システム(教育・法律・政治)の設計に大きな影響を与えたと思われます。そして、宗教から科学への大きなパラダイムシフトの中で、古典力学的な考え方「シンプルな論理として説明できるもの=正しい」という「思想」が社会に浸透したと考えられます。

2)世界の複雑化

2つ目が、現代の複雑さが人間の認知能力を超えてしまっているという点も考えられます。 当時は現代ほど世界が密接に繋がりあってはいなかったので、社会が人間の認知能力の範囲に収まっていたはずです。地球の裏側の出来事がリアルタイムで自分の国の社会に影響を与えるようになったのは、最近100年間の話です。自分が感じている違和感は、近代に広まった思考のフレームワークが、現代社会の複雑さに適さなくなったことが理由だと感じています。

偶然でも必然でもない時代に生きるということ

個人的な感覚としては、現代は決定論的な法則の支配する世界でもないが、すべてが偶然に左右されるランダムな世界でもないと思っています。いうならば創発の時代。「創発」とは普段は使わない言葉ですが「個別の事象から思いがけない結果が得られるような状態」のことです。このような環境では確率を高めることが重要になります。こんな時代の特徴をうまくメリットとして活かして恩恵を受けるのはどんなタイプの人物か考えてみると、下記のような人が当てはまると思います。

1)情報の発信者

緊密なネットワークでは情報は一瞬で全体に伝わり信じられないチャンスを得る可能性があります。情報伝達コストが異常に低くなっており、最初に紹介した「偏り」の性質もあり、些細なキッカケが信じられない結果につながる可能性を秘めています。確率的には高くはないですが、情報発信者には「ピコ太郎」のような突然のヒットが常に起こる可能性があります。情報の発信者は今の時代は恩恵を受けやすい存在です。

2)分からないことへの耐性が強い人

分からないことを分からないまま計画に含めて行動できる人は有利です。つまり不確実性への許容値が高い人です。事前に詳細な計画をどれだけ詰めても全体は読みにくくなっているので、無駄になってしまいがちです。反対に、自分の見えている範囲の情報だけをもとに物事を判断し、自分の想像できる範囲のことしか想定しない人は恩恵を受けにくい時代といえます。「何がおこるかわからない」という可能性を常に念頭に置いて動けるかが重要になってきます。

立ち止まらず動き続けることの大事さ

こういった構造のことを考えていると、自分の人生は巨大な力の中の塵の1つみたいに思えて虚しくなってしまうときがあります。ただ、世界の構造の探求は、人生や情熱といった哲学的なテーマにもポジティブな後押しをくれます。

前半で小難しい話を長々と書いてますが、有機的なシステムとしての生命の特徴とは「外部からエネルギーを取り入れて代謝を繰り返すこと」です。生命にとって「止まる」ということは「死」に近づくことであり、「生きる」とは「動き続けること」と同義です。

自分で振り返ってみると、動き回っているときはたいてい精神的にも充実しています。「本当にうまくいくのか?」なんて色々と考え混んで立ち止まっているときは、精神的にも停滞していることがほとんどです。

そして、人間の行動の原動力となるものは欲望や情熱です。精神的な熱量が行動につながり、行動によって外部から刺激やエネルギーをもらい、それが更なる行動につながっていきます。複雑な世界の構造をドライに観察していった結果が、「情熱を持って動き続けること」という単純かつウェットで人間的な考え方を肯定してくれることには驚きました。

Appleの創業者スティーブ・ジョブズの生前のスピーチ動画を見た人は多いと思いますが、彼のスピーチは非常にわかりやすい言葉で人生の本質を突いていました。

You’ve got to find what you love. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking, and don’t settle.
たまらなく好きなことを見つけなさい。偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることです。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協してはいけません。

And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っています。その他のことは二の次です。

Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself.
ハングリーであり続けなさい。愚かであり続けなさい。私は常にそうありたいと願ってきました。

スピーチを要約すると「情熱を傾けられることを必死に探して、勇気を持って自分の直感に従い、ハングリーに挑戦し続けること」です。私が長々と書いたことを、これほど短い言葉で簡潔に表現していて、彼の凄さを改めて思い知りました。同時に、彼の話に多くの人が心を打たれたのは、これが人間にとって本質であることを私たちが「本能」として知っているからなのでは?とも感じました

世界の構造を探求することは、資本主義経済といった世知辛いテーマから、自然や生命といった話、人生の本質のような哲学的なテーマまで広い領域に多くの示唆を与えてくれました。

色んなことを考えた結果、最初にいた場所にまた戻ってきたので、改めて新鮮な気持ちで頑張ろうと思いました。